このエントリーをはてなブックマークに追加

豊中運動場100年(67) 中等学校野球/決勝は大阪・東京対決に/和歌山中、前年に続き涙

高校野球メモリアルパークには、第1回、第2回大会の史料を記したプレートがはめ込まれている=豊中市玉井町で

 日本1といわれ、東洋1ともいわれた豊中運動場だか、現在から考えると信じられないような事態が起こっている。
少し油断すると外野にひざが隠れるほどの雑草が生い茂ってしまった。草刈りが間に合わずに試合が始まると、茂みの中に転がったボールを探し回る選手が続出、驚いて飛び出してきたカエルに選手も驚いた。
また豊中運動場は野球以外の競技にも使われていたため、くいやポールを立てるための穴が至る所にあった。ボールが穴に落ちてしまうこともしばしば。選手がはいつくばってボールを取り出しているすきに単なる安打が3塁打になるという悲劇まで起こった。
ストッキングをはいていない選手がいれば、プロテクターをつけていない捕手もいた。それでも試合は淡々と行われた。何とものどかな時代だったといえる。
1916(大正5)年に開催された全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)の第2回大会は8月19日、いよいよ準決勝を迎えた。市岡中、鳥取中、慶応普通部、和歌山中がベスト4に名乗りを上げた。
 第1試合は、主戦の松本終吉投手1回表にいきなり無死満塁の好機をつかみ無安打で2点を先制、二回表にも富永徳義選手の左前適時打で1点を追加した。一方、鳥取中は2回裏、上田登之助選手、中村延孝選手の連続適時打で2点を返した。
 5回表に市岡中が相手失策の間に1点を挙げて突き放すかにみえたが、鳥取中は6回裏に上田選手が左越え11点適時打を打ち、ついに同点に追いついた。市岡中の松本投手は6回あたりから右肩に違和感を覚え始めたものの続投。試合は動かずそのまま延長戦になった。市岡中は10回表、失策から得た1死三塁の好機に山田喜克選手がスクイズを決めて勝ち越し。そのまま逃げ切って決勝進出を決めた。
鳥取中の絶妙な戦術について大阪毎日新聞は「鳥取は試合に負けて頭脳に勝ちたり」と評価した。ただ鳥取中は安打数でも盗塁数でも市岡中を上回る一方で失策10を記録。失策の多くが失点につながっており1点を争う大接戦に大きく影響した。
第2試合は慶応普通部と和歌山中の実力校が激突、慶応・新田恭一投手、和歌山中・谷口忠夫投手がマウンドに上がった。
1回裏に和歌山中が無死2、3三塁からスクイズと内野安打で2点を先制すれば、慶応は2回表に足立信夫選手が右翼線への快打をランニングホームランにして1点を返す。その裏に和歌山中は三塁―本塁間に挟まれた走者が巧みに生還して1点を挙げて突き放す。試合巧者らしい両校の緊迫した展開となった。
 和歌山中の谷口投手は得意球のカーブがさえたものの、5回表に慶応・出口修二選手に適時打を浴びて1点差に迫られた。そして慶応は6回表、相手守備の乱れから1点をもぎ取り同点に追いついた。慶応は七回裏から新田投手に替わって主戦の山口昇投手が救援登板した。
 迎えた9回表、慶応は1死2、、3塁から新田選手が犠飛、佐藤隆雄選手がスクイズで計2点を挙げて勝ち越し。続いて山口選手が2点本塁打を放ち一気に試合を決めた。好投の谷口投手が最後に力尽きた和歌山中は、前年に続いて準決勝で敗れ決勝目前で涙をのんだ。
決勝は市岡中―慶応普通部の大阪・東京決戦となることが決まった。地元校が優勝をかけた大一番に登場するとあって豊中運動場の熱気は一気に上がっていく。(松本泉)

▽8月19日
【準決勝】
市岡中
  2100100001=5
  0200020000=4
鳥取中     (延長10回)

慶応普通
  010011004=7
  210000000=3
和歌山中
=1016.06.20

全国中等学校優勝野球大会 市岡中 鳥取中 鳥取中

更新日時 2016/06/20


関連地図情報

関連リンク