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豊中市立中央公民館で西村真琴の展示

西村真琴の展示

 豊中市立中央公民館(曽根東町3)で10月1日、博物学者で元大阪毎日新聞(大毎、現毎日新聞)記者、元豊中市議会議長の西村真琴(1883年~1956年)の業績を紹介する展示が始まった。
 会場には、業績年表や公民館敷地内にある三義塚の由来についての資料などが常設展示されているほか、マリモの保護活動や著作物などを月ごとに紹介する展示コーナーを設けている。展示時間は、午前9時から午後5時まで。入場無料。問い合わせは中央公民館06-6866-0555。
 西村は北海道帝国大学(現北海道大学)教授でマリモの研究者として知られ、大毎記者の転身して、東洋で最初のロボットといわれる「学天則」の制作などを行った。その後、大毎の社会事業団に移った。大毎退社後は、豊中市議会議員(1947年~49年)となり、第5代議長も務めた。また1949年~53年に豊中市立公民館(中央公民館)の2代目館長を務めている。
上海事変の起こった1932年、負傷者を救援するため医療団を率いて上海に渡り、郊外の三義里で飢えて飛べなくなったハトを見つけて、「三義」と名づけて、大毎に連れ帰った。その後、自宅の豊中市穂積(現服部西町)で日本のハトと一緒に家族同様に育て、子バトが生まれたら日本と中国の友好のあかしとして上海に住む文豪、魯迅(ろじん)送る予 定だった。しかし三義は死に、自宅の庭に三義塚を建てた。
 死を悔やみ、三義の絵に「西東国こそ異へ子鳩等は親善あへり一つの巣箱に」の歌を添えて魯迅に送ったところ、魯迅は感激し、七言律詩「三義塔に題す」を詠み、西村に贈った。三義塚はその後、孫娘宅に移された後、豊中市制50周年を記念して、縁のある中央公民館に移設された。
 中央公民館は「昭和2年から豊中市に住まわれ、公民館館長時代は文化・芸術分野など
に多くの足跡を残すなど、豊中市の発展に尽力された人。この展示で、少しでも
多くの人に西村真琴の功績を知ってもらうきっかけになってほしい」と話した。
常設展示される業績年表や三義塚の由来のほか、現在展示されているマリモの研究や保護活動など、彼の業績を月ごとに紹介するコーナーが設けられている。
=情報提供・豊中市(梶川伸)2015.10.02
※西村真琴については、「特集&マチの便利帳」の中の「西村真琴の足跡」をご参照ください。

大阪毎日新聞 魯迅 学天則

更新日時 2015/10/02


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