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西村真琴の足跡・上 日本のロボットの父

当時の資料をもとにして作り、大阪市立博物館に展示されている学天則。実際には人物の上に巨大な鳥が取り付けられていた

 元大阪毎日新聞(現毎日新聞=大毎)の記者で、豊中市議会議長も務めた西村真琴(まこと、1883~1956)と、中国の文豪・魯迅(ろじん)の交流をテーマにした展覧会が2014年2月23日~25日、豊中市立中央公民館で開かれる。豊中市日中友好協会主催で、23日午後2時から公民館4階でシンポジウムも開く。催しを前に、3回に分けて西村を紹介する。
 西村は北海道帝国大学の教授として、プランクトンやマリモの研究に打ち込んだ。大毎の懸賞論文に応募したことがきっかけで、当時の本山彦一社長に請われて、学芸部記者として大毎に入社した。
 1928年に京都大博覧会が開かれた。大毎は人造人間「学天則」(がくてんそく)を出品し、話題をさらった。考案、製作したのが西村だった。チェコのカレル・チャペックが戯曲「R.U.R.」でロボットを登場させて8年後だった。今では日本初、東洋初のロボットと位置づけられている。
 学天則は「自然の法則に学ぶ」という西村の考え方を表し、空気や歯車のようなものを利用して、動かした。実物はドイツにも渡ったが、いつの間にか行方不明になった。(梶川伸)
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」58号(2013年12月12日)

大阪毎日新聞 西村真琴 魯迅 豊中市日中友好協会 学天則 カレル・チャペック

更新日時 2013/12/02


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