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豊中運動場100年(43) 中等学校野球大会決勝/京都二中、初代王者に輝く/延長13回秋田中を降す

初代の深紅の大優勝旗。第1回大会から1957年の第39回大会まで使われた=甲子園歴史館展示

 1915(大正4)年8月23日。
 中等学校野球の初の日本一を決める第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)決勝の火ぶたが豊中運動場で切られた。
 先攻は秋田中。20日の準決勝で優勝候補の早稲田実を破って勢いづいていた。
 後攻は京都二中。降雨ノーゲーム再試合となった準決勝で和歌山中を制していた。
 京都二中は前々日、前日に続く3連戦、対する秋田中は中2日空けて休養十分なうえ早実を破った勢いもある。下馬評は「秋田中が圧倒的に有利」だった。
 午後2時50分、試合開始。
 秋田中打3が3連投の京都二中・藤田6回まで凡打が続く。一方の京都二中も、4回裏に1死1、三塁、5回裏に2死満塁の好機をつくりながら凡ミスで得点につながらなかった。
 こう着状態が打ち破られたのは7回だった。秋田中は8回裏、相手投手の暴投から1点を奪い同点とした。そして9回は両校とも得点できず、試合は大会初の延長戦に入った。
 秋田中が三者凡退を重ねるのに対して、京都二中は毎回走者を出すもののあと1打が出ない。試合は13回に入った。
 13回表、秋田中は丹選手が左前打で出塁したが無得点に終わる。その裏、京都二中は中前打の大場義八郎選手が盗塁を決めて1死2塁の好機をつくる。ここで秋田中に痛恨の失策が出てしまう。津田良三選手の打球を二塁手が落球、送球を受ける一里手もエラーし、その間に大場選手が生還する。あっけない幕切れで京都二中がサヨナラ勝ちを収めて初代王者となった。
 京都二中の中啓吉主将は後に決勝戦を振り返りこう語っている。
 「秋田中に先に1点を奪われてあせってしまい試合を長引かせてしまった。楽に勝てると思っていたのが苦戦してしまいやっと優勝できた」
 中主将は表彰式で、朝日新聞社の村山龍平社長から優勝旗を受け取った。夏の甲子園大会の象徴である深紅の大優勝旗が初めて球児に手渡された瞬間だった。村山社長は「金はいくらかかってもいいから日本一立派な旗をつくれ」と指示。第1回大会で選手たちに支給された交通費の総計が770円だったが、優勝旗はその2倍に近い1500円をかけて作成したといわれている。
 はその2倍に近い1500円をかけて作成したといわれている。
 全国中等学校野球大会の成功は、「日本1のグラウンド」としての豊中運動場の地位を不動のものにした。(松本泉)2015.05.09


▽決勝(8月23日)
秋田中  0000001000000=1
京都二中 0000000100001=2
             (延長13回)
(秋)長崎―渡部(京)藤田―山田

秋田中  43 4 10 1 0 1 7
      打 安  振 四 犠 盗 失
京都二中 46 7 10 4 1 5 2

第1回全国中等学校優勝野球大会 京都二中 秋田中

更新日時 2015/05/09


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