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豊中運動場100年(41) 中等学校野球大会準決勝/突然の豪雨でノーゲーム/息詰まる投手戦に水差す

戦前に使われていたキャッチャーのマスク=甲子園歴史館展示

 1915年に豊中運動場で開催された全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)第1回大会は8月21日、準決勝の第2試合となる和歌山中―京都二中戦を迎えた。前日には秋田中が激戦で早稲田実を破り決勝進出を決めていることや、折りしも土曜の午後2時試合開始とあって豊中運動場は大勢のファンで埋まった。
入場者はどれぐらいだったのだろうか。
入場は無料だったので推測する以外にない。観覧席のおおよその収容数や箕面有馬電気軌道の輸送力などから考えると、多くて5000人、通常は数千人ぐらい。第1回大会の総入場者数は1万人程度だったと思われる。
そして選手や応援団の強敵は日没と雨だった。
当時の豊中運動場にはもちろん照明設備はない。周囲の住宅開発に伴って引かれた数少ない電灯があるだけで、日が暮れてしまうとあっという間の暗闇。試合どころではなくなり、暗い道を豊中停留場まで歩かなければならなかった。
また大型テントやよしず張りの観覧席が何カ所かあったものの、突然雨が降ると大多数の人たちは雨を避ける場所がない。たちまちずぶぬれになった。
この日は午前中から今にも雨が降り出しそうな厚い雲に覆われていた。空を気にしながら試合が始まった。
2回表、和歌山中が敵失に乗じて無安打で1点を先取する。京都二中の中啓吉主将は「大会中で最も心配だったのはこのときだった」と後に振り返っている。「このまま5回まで押し切られて雨天コールドゲームにでもなったらたまらんと、試合より天気に気を取られた」
しかしこの回の裏、京都二中は3塁打の藤田元選手が相手の失策の間に生還し同点とする。その後は和歌山中の戸田省三投手と京都二中の藤田投手が好投して互いに譲らない。同点のまま迎えた九回裏、京都二中の攻撃が一死1塁となったとき突然の豪雨に襲われた。
大阪毎日新聞によると「遥かに六甲山曇るかと思うと瞬く間に天地暗たん雷鳴とどろき地軸も裂けんばかりの大雷雨」とあってノーゲームになった。
 藤田投手が和歌山中を無安打に抑えれば、戸田投手も相手打線をわずか3安打に抑える息詰まる投手戦だっただけに文字通り“水を差されて”しまった。
ただ残念なのは、両校の得点がともに敵失によるものだったように失策が目立ったことだった。この試合に限らず、第1回大会で記録された失策は実に103に上り、1試合当たり11.44失策を数えた。2014年の夏の甲子園大会では、1試合平均で1.68失策だったことと比べるといかに多かったかがわかる。中等学校野球は技術的にはまだまだ発展途上だった。(松本泉)

▽準決勝(8月21日)
和歌山中
  010000000=1
  01000000 =1
京都二中
 9回裏途中降雨のためノーゲーム
 (和)戸田―矢部
 (京)藤田―山田

全国中等学校優勝野球大会 和歌山中 京都二中

更新日時 2015/03/18


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