豊中運動場100年(34) 中等学校野球大会 開幕戦は鳥取中が制す 広島中が第1号本塁打
1915(大正4)年8月の大阪は雨の日が多かった。8月初めの関西学生連合野球大会は雨の影響で5日間の予定が7日間に延びた。全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)の第1回大会も空模様をにらみながらの開幕になる。
8月18日午前8時。
記念すべき開幕戦は広島中―鳥取中となる。
広島中は大阪朝日新聞社主催の山陽大会の覇者。広島高等師範グラウンドで開かれた決勝で強豪・広島商を3―1で破り、豊中に乗り込んできた。
対する鳥取中は3日前、豊中運動場での異例の開催となった山陰代表決定戦で杵築中を降して出場を決めたばかり。まだ勝利の余韻を残していた。
マウンドに立ったのは羽織はかま姿の村山龍平・大阪朝日新聞社社長。傍らには山高帽にフロックコートの荒木寅三郎・京都帝国大学総長が審判長として立ち会う。
村山社長の始球式で大会はスタートした。
1回表。広島中の先頭打者・小田大助選手がいきなり安打。敵失などで2点を先制した。対して鳥取中は1回裏、田村豊選手と松田重勇簀選手の連続適時打などで3点を挙げ一気に逆転した。
6回、7回と加点しリードを保つ。そして8回裏には疲れが見えてきた広島中の岸安三投手を攻め立てて打線が爆発。上田登之助選手、岩田健治選手、松田選手が適時打を放つなど打者一巡の猛攻で7点をもぎ取り一気に突き放した。
それでも広島中は9回表、2死から意地を見せる。林田寿選手が2塁打で1点を返したあと、4番の中村隆元選手が中堅越え大飛球を放った。走者2人が還り、外野手が処理に手間取る間に中村選手も本塁に還り、大会第1号本塁打になった。しかし反撃はここまで。鳥取中が14点の大量得点で広島中を破り開幕戦を制した。
見せ場が多く熱戦となったものの、両チーム合わせて四死球17、失策9。失策が得点につながる場面も多く課題も残す開幕戦になった。
大会第1球を投げた鳥取中の鹿田一郎投手は、全国高校野球選手権大会史の中で当時を振り返り「もともと心臓は強いほうで、この試合まであがるということは決してなかった。ところがあの大掛かりな大会の雰囲気、いかめしい始球式の光景にすっかりあがってしまった。第一球は本当に無我夢中で投げた。確かストライクだったと思う。とてもカーブを投げられなかったので直球をど真ん中に決めたように覚えている」と話した。
豊中運動場に初々しさが漂う高校野球の第一歩だった。(松本泉)2014.11.09
▽1回戦(8月18日)
広島中 200010004=7
鳥取中 31000217×=14
(広)岸―田部、増岡
(鳥)鹿田―松田
広島中 34 5 14 6 1 2 4
打 安 振 四 犠 盗 失
鳥取中 31 8 8 11 2 2 5
更新日時 2014/11/11