豊中運動場100年(29) 第2回日本オリンピック 国内記録を次々と更新 公開競技で競歩も
第2回日本オリンピック大会の2日目となる1915(大正4)年5月2日、前日の予選に続き各競技の決勝が行われた。雨がぱらつくあいにくの天候になったが、午前5時の初発電車から観客が詰め掛け、たちまち立すいの余地もなくなった。
陸上競技を国際レベルに引き上げようとの試みが続いた。110メートル障害走については「従来の運動会に行はれたる余興的の網潜り、樽(たる)抜けなどのものは一切之を退け」国際規格のハードルを使うとした。また走り高跳びや棒高跳びでは「従来一般に白紐(ひも)を以ってしたるも今回は之に代ふるに一インチ角の横木を用ふること」とした。それまで、国内の大会の高跳びではバーの代わりにひもを使っていたようだ。
時折雨足が強くなる最悪のコンディションにもかかわらず好記録が相次いだ。五輪記録には及ばないまでも、100メートル走、400メートル走、1500メートル走では国内記録を更新。5000メートル走では前日のクロスカントリーで優勝した高津金治選手が1位を飾る。当時、伝説の長距離ランナーだったイタリアのドランド・ピエトリに体型も走り方もそっくりな名選手だと賞賛された。
大学生や専門学校生の活躍が目を引き、次期五輪への期待を大きく膨らませる。主な種目で1位となったのは次の選手だった。
100メートル走=岡本栄二郎(神戸高商)▽200メートル走=明石和衛(東大大学院)▽400メートル走、800メートル走=津村清次(慶応大)▽1500メートル走=多久儀四郎(東京高師)▽110メートルH=竹内象蔵(神戸高商)▽走り高跳び=春日弘(神戸住友)▽棒高跳び=石川静(三高)碓氷源治(兵庫県農学校)
第2回日本オリンピックでは公開競技ではあるが国内で初めて競歩が実施された。「徒歩競争」と名付けられ16人が参加。「歩くのが競技なのか」という疑問には「両足いづれかの一方は常に必ず地面と接触し、きびすを一歩一歩地上に付くる」と説明し、「下駄履きと裸足は禁ずる」という注意まで必要だった。それでも「走ってしまう」違反者が続出してまともなレースにならなかった。
選手の実力を世界レベルへ引き上げようという熱戦の跡が豊中運動場に色濃く残った。(松本泉)2014.08.09
本大会1位 五輪記録 国内記録
100メートル走 11秒5 10秒4 12秒1
200メートル走 25秒7 21秒3 25秒2
400メートル走 57秒6 48秒2 57秒7
800メートル走 2分15秒75 1分51秒9 2分14秒6
1500メートル走 4分35秒 3分56秒8 4分44秒4
5000メートル走 17分50秒 14分36秒4 16分54秒
110メートル障害 21秒22 15秒 20秒2
走り高跳び 1メートル55 1メートル95 1メートル60
棒高跳び ※2メートル50 4メートル03 3メートル04
※荒天のため2メートル50で打ち切り
更新日時 2014/08/14