豊中運動場100年⑲ 小学校の運動会も開催 週末ごとに歓声あふれ
豊中運動場で開催されたのは、日本オリンピック大会や日米野球戦、関西学生連合野球大会、大阪実業団野球大会といった大規模な大会だけではなかった。週末になると、小学校の運動会や中等学校の野球の試合、クラブチームの野球対抗戦などを開いている。使用料は無料、空いていれば誰でも使うことができる庶民的でオープンなグラウンドだった。「日本オリンピックと同じトラックで走れた」「アメリカの選手が使ったグラウンドで野球ができる」と評判を呼び、スポーツの裾野を広げていった。
たとえば、日本オリンピック大会の1週間後の1913年10月25日には、大阪市立北大江小学校が「オリムピック小会」と名付けた運動会を開いている。日本オリンピック開催直後とあって施設や設備はそのまま使えた。「小会」と名付けたあたりに熱の入り方がうかがえる。徒競走や跳躍など競技種目は多岐にわたり、児童、教員、保護者をはじめ地域の人まで約2000人が詰め掛けたというから、その盛り上がりの程が容易に想像できる。
土曜、日曜は野球の試合が続いた。
10月26日には早朝から、箕面有馬電軌―近江銀行、日本興業―大阪朝日新聞社、中嶋商店―大阪毎日新聞社の社会人野球大会を開催。中嶋商店は大阪高等工業学校とも対戦して圧勝し、大阪実業団大会優勝の実力を見せつけた。
翌週の11月2日には、箕面有馬電軌―明星商業倶楽部(くらぶ)、近江銀行―大阪毎日新聞社、明星商業倶楽部―日本人造肥料の3試合、11月23日には近江銀行―常盤木倶楽部、宇治川電気―大阪毎日新聞社、錦華殿倶楽部―天狗倶楽部の3試合があった。毎週、主に企業チームとクラブチームが対戦した。しかし、対戦カードも試合開始時間も大雑把に決められていたため、グラウンドに来たものの相手チームがいなかったり、開始時間が大幅に遅れたりして、しびれを切らせて帰ってしまうチームが出たりしたようだ。
第三高等学校と大阪高等医学校の好カードが組まれたのは11月15日だった。午後3時に試合開始。大阪高医が2回に先制点を上げると三高は6回に追いつく。三高が8回に2点を入れて逃げ切るかに見えたが、大阪高医が土壇場の9回に2点を取って3対3の同点として延長戦に入った。しかし10回を終わったところで日が暮れてしまい試合が続行できなくなる。白熱の試合は引き分けに終わった。
週末の豊中運動場はスポーツを楽しむ選手と観客で日暮れまでにぎわった。(松本泉)
=2016.02.26
更新日時 2014/02/27