豊中運動場100年⑪ 社員や家族が熱烈応援 実業団野球でにぎわう
豊中運動場が社会人野球の拠点として存在感を高めるきっかけになったのが、美津濃運動具店主催の第2回大阪実業団野球大会だった。全国初の社会人野球の大会だったが、会場の確保に四苦八苦していた。それだけに、日本1のグラウンドで大会が開けるとあって社会人野球の人気に弾みをつけた。
ただ、開場した1913(大正2)年当時の豊中運動場は、一般人にとって便利な会場とは言い難かった。大阪市内からの唯一の交通機関は開通して間もない箕面有馬電気軌道だった。それ以外は道路幅が4~5メートルで舗装されていない能勢街道を人力車で北上するしかなかった。
加えて豊中停留場(現豊中駅)が正式開業する10月までは、岡町停留場から30分以上歩かなければならなかった。豊中停留場は大きな大会が開かれるときだけの仮営業だったためで、選手たちは「何で電車を停めてくれんのや」と言いながら、用具を手に歩いた。
とは言え、豊中運動場はやはり魅力あふれるグラウンドだった。第2回大阪実業団野球大会の準決勝と決勝が行われた10月12日には、出場チームの社員や職員、家族が大勢応援に詰め掛けた。また、中等学校野球や大学野球で有名になった選手が今度は実業団の選手として出場するとあって、ひいきの選手目当てのファンも駆けつけた。
ベスト4に勝ち進んだのは、大日本人造肥料、大阪税関、中嶋商店、百三十銀行の4チーム。当時の大阪の社会人野球のビッグ3は、大日本人造肥料、大阪税関、津田商店だったと言われており、その中の2チームが勝ち上がっていた。
準決勝のプレーボールは午前9時。
強豪同士の対戦となった第1試合は大日本人造肥料が圧勝。第2試合は中嶋商店が結成間もない百三十銀行を破った。
決勝は両チームともに主戦投手の疲労が激しく派手な打撃戦になる。中嶋商店が競り勝ち、豊中運動場での社会人野球チーム初の優勝を飾った。(松本泉)
◇第2回大阪実業団野球大会結果
▽準決勝
大日本人造肥料 20―5 大阪税関
中嶋商店 7―4 百三十銀行
▽決勝
中嶋商店 14―11 大日本人造肥料
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第60号(2014年3月13日)
更新日時 2013/09/30