豊中運動場100年⑥ 慶応、食い下がるも涙/三島弥彦さんが球審
豊中運動場の開場記念試合となった「日米野球戦、慶応義塾大学対スタンフ
ォード大学」は、1913(大正2)年6月22日に第2戦が行われた。前日の
第1戦は10対0の大差で慶応大が大敗。神戸などから駆けつけた外国人応援団
は大いに盛り上がったが、特設された婦人観覧席では思わぬ大敗に号泣する観客
もいた。
この日は朝から晴れ間が広がる野球日和。前日の雨交じりの曇天がうそのよう
な好天になった。午後3時の試合開始を待ちきれない観客が朝から豊中運動場に
詰めかけた。箕面有馬電気軌道の電車が2分おきに豊中停留場に到着するたびに
観客は増え続け、4万人(主催者発表)の大観衆で膨れあがった。
日米野球戦は球審と塁審の2人審判で行われた。当時は通常、審判が1人だけ
の単独審判や2人審判で試合が行われ、現在では普通になっている4人審判や6
人審判が取り入れられるのはまだ先のことになる。2人審判の場合は、球審は本
塁でジャッジするが、球審は走者の有無によって一塁の近くや投手の後ろなどで
判定した。
豊中運動場での日米野球戦の球審は三島弥彦氏が務めた。三島氏は日本初の五
輪選手としてストックホルム五輪(1912年)の陸上競技に出場。野球部にい
た学生時代は投手として活躍し、学生野球の審判も務めていた。日本人審判のレ
ベルに批判的だった米国チームも三島球審には敬意を表したという。
午後3時開始。
先発は第1戦と同じく慶応大は菅瀬一馬投手、スタンフォード大はメープル投
手。菅瀬投手は前日の途中降板の雪辱を果たそうと意気込んでいた。
1回表、慶応大は2死から相手の失策の連続にうまく乗じて一気に3点を先取、
幸先の良いスタートを切った。慶応大は菅瀬投手の好投と好守備が光り、2点は
返されたものの6回までリードを保つ。しかしスタンフォード大は7回裏、2死
からの3連打で2点を奪い逆転。直後の8回に慶応大は同点に追いついたが、そ
の裏にスタンフォード大が内野安打で貴重な勝ち越し点を挙げ、そのまま逃げ切
った。
九回表の慶応大は2死ながら二、三塁まで食い下がったが、あと一打が出なか
った。応援団席は絶叫の渦となったが、ゲームセットとともにため息に変わった。
両チームともに7安打だったものの、スタンフォード大は三塁打を3本記録して
おり長打力の差が勝敗を分けた。
豊中運動場での試合は慶応大が2敗。東京、名古屋での勝敗を合わせると慶応
大は3勝5敗で終わった。
大盛況となった豊中運動場開場の様子は、新聞だけでなく活動写真でも伝えら
れた。21日の第1戦の様子は日本活動会社が17分の活動写真にまとめ、翌2
2日から道頓堀の朝日座で上映。豊中運動場を一目見たいというファンが激増し
た。(松本泉)
◆1913年6月22日 日米野球第2戦
慶応義塾大 300000010=4
スタンフォード大 00101021×=5
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第56号(2013年10日)
更新日時 2013/07/01