心にしみる一言(367) 来年の桜は見られるかなあ
◇一言◇
来年の桜は見られるかなあ
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4月になると、ノンフィクション作家、柳原和子さんと見た三井寺(大津市)の桜を思い出す。
外国に住む日本人をインタビューしてまとめた力作「在外日本人」は、私が勤めていた毎日新聞の出版文化賞の候補に最後まで残った実力作家だった。私の友人が、その本の紹介をしてほしいと言って、会社に連れてきた。結局、記事にすることはなかったが、何となく気が合って、お酒も飲むようになった。
ある時、柳原さんが飲みながら、「若いころ、四国88カ所を歩いて回って、とても印象に残った」と話した。こちらも酒に勢いで、「僕も行く」と宣言した。これまで12周したが、きっかけ作ってくれたのが、彼女だった。
1997年、柳原さんにがんが見つかった。すると、ノンフィクション作家のゆえか、自分自身を対象にして、「がん患者学」「がん生還者たち」「百万回の永訣」と、次々と力作を出版した。
「三井寺の桜を見に行きたい」と彼女が言ったのは、98年か99年のことだった。境内の中の小高い場所にある観音堂に登った。眼下には桜と琵琶が広がっていた。その時、つぶやいたのが「来年の桜は見られるかなあ」だった。
自問自答だったのだろう。だが、聞かれているようにも聞こえた。私はなるべくがんの話を避けていたので、言葉が出てこなかった。無言で下を向いていると、彼女のスニーカーが目に入った。話題を靴にそらすと、その日の下ろしたのだという。桜よりも、スニーカーのことが記憶に残っている。白をベースに、少しピンク色も使っていた。。
彼女は懸命に生きた。私は遍路を重ていた。2008年3月2日。徳島県阿南市の22番札所にお参りをした。本尊は薬師如来。柳原さんのことが頭に浮かび、お札をもらおうか、と考えたが、どういう訳かそうはせず、次の札所に向けて歩き出した。すると、10分もしないうちに、彼女の面倒をよくみていた友人から電話が入った。亡くなった、と。(梶川伸)2922.03.28
更新日時 2022/03/28