心にしみる一言(341) 10年間、涙を出して耐え忍ぼう
◇一言◇
10年間、涙を出して耐え忍ぼう
◇本文◇
2021年10月18日の毎日新聞の1面に、「豊島(てしま)産廃 処理終結で合意」「22年度末 住民と香川県」の見出しがついた記事が載った。香川県・豊島には、不法投棄の産業廃棄物を巡る長い歴史があり、40年を経て終わりが見えたという記事だった。
1978年に香川県が業者に、産業廃棄物処理業を認可した。業者は1980年ごろから豊島に、国内最大級の約50万もの産業廃棄物を不法投棄した。兵庫県警が業者を強制捜査に入った。島民は香川県などに対し産廃の全面撤去求めて運動を続け、国の公害調停を申請した。
私が新聞記者として香川県で仕事をしていたのは、運動の転換期だった。1996年10月、豊島に初めて行った。「ごみの島」と称されていたが、それは島の北部の一部で、ほかはのどかな風景が広がっていた。
最初は歩いて島を巡ろうとした(途中で断念)。出会った女性に、何をしているのかを聞かれ、島一周と答えると、「腹が空こう」と言って、ケラケラと笑った。島の人の人なつっこさと優しさに、業者が漬け込み、行政も強い対応を怠ったのだと感じた。
立ち入り禁止にはなっていたが、不法投棄地に入ってみた。産廃のほとんどは、土の下に埋まって見えない。穴を掘ってある場所があり、そこにはビニールテープが何本もはみ出していた。何だか息が詰まるようで、長居はできなかった。
11月24日の住民大会で、運動は全面撤去の旗を降ろし、「毒性のある産廃の中間処理は島内で行う」とした(結果的には隣の直島に運び、三菱マテリアルで処理することになった)。中坊公平弁護士が「苦渋の決断」と述べ、この言葉はその後、さまざまな場面で使われるようになる。
私は前日から泊まり込んだので、島民や中坊弁護士の話をたくさん聞くことができた。
「20年にわたって県にだまされ続けてきた」「全面撤去は一歩も譲れない、と言ってきたが、おわびをしなければならない」「国の廃棄物行政のあり方を、変えていかなければならない」「廃棄物はなくなっても、両手をあげて喜んではいけない。豊島の将来設計も考えなければ」「焼くこと(中間処理)を容認しよう」「10年間、涙を出して耐え忍ぼう」、
それから25年経った。その日、立木トラストでオリーブの植樹があった。「あの土地を私たちの教訓にする。豊島再生のために、豊な未来のために」と。私も1本植えた。(梶川伸)2021.10.19
更新日時 2021/10/19