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編集長のズボラ料理(296) 白ネギの天ぷら

冬の白ネギは中がトロッとして好みだ

 どうにも説明にしようがない食べ物がある。作り方が難しかったり、複雑だったりするからではない。
 その場合は、ややこしい分だけ何やかんや書くことがある。うまく書けたがどうかは別だが、そんなものは、どうせ読んでもわからないから、大したことではない。「作り方」ではなく、「レシピ」としゃれておけば、ごまかせる。
 単純だと困る。例えば卵かけご飯。「ご飯に生卵をかけ、しょうゆを落としてかき混ぜる」。22文字で書き終わる。読点を入れても23文字。カギ括弧の中だから省いたが、最後の句点をおまけしても、24文字にしかならない。
 問題なのは、22文字で完結していることだ。しいて言えば、容器に生卵を入れ、しょうゆを加えてかき混ぜてからご飯をかけるか、ご飯に卵をのせてからにするかの違いくらいのものである。その違いは個々の人生を反映した文化であり、それは根深すぎて深入りするのはタブーとされている。
 ただ、茶碗に生卵を割り入れ、しょうゆを落としてからご飯を入れ、かき混ぜる人がいる。これはコペルニクス的転回で、その人は天才に違いないが、書く権利はその人にあるから、凡人には縁がない。
 それ以外にいくら書いても、しょせんは添え物である。しょうゆは何がいいか。それは卵かけご飯のテーマではなく、しょうゆについて書く時の課題だから、「勝手にせい」である。
 旅館に泊まり、朝ご飯に卵が出てきて、殻を割ってご飯にかけようとしたら、ゆで卵だった。そんなこともあるが、書いても大した意味はない。それよりも、ゆで卵のつもりで殻を割ってしまった方が大変だろう。ドロッとした生卵がテーブルに落ち、食べ損なった動揺と照れくささをとりつくろうために、「ゆで卵だと教えといてよ」と話す恥ずかしさよりはましだと思うべきである。
 友人が昔、ゆで卵を別の友人のおでこに当てて、殻をむいたことがあった。生卵だったらどうなるのか。後で僕も自分のおでこでやってみたが、殻が割れればいいのだが、割れなかった時は痛い。ただ、普遍化できることではないから、書くには値しない。
 冷や奴もそうだ。「豆腐を切って、薬味を乗せてしょうゆをかける」」。20文字。句読点を入れたとしても、22文字ですむ。中心部分は完結しているので、付け加えるとすれば、木綿か絹か、最近はやりのネットリ系か、大もての男前かどうかくらいで、大したことではない。
 白ネギを適当な流さに切り、天ぷらにする。18文字。句読点を入れて20文字。これ以上書くことがない。本題に入る前には、いろいろと書いたが、これは文章を延ばすためだけのことで、全く大したことではにない。(梶川伸)2018.03.19

更新日時 2018/03/19


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