豊中運動場100年(100) 日系人チームなど相次ぎ来日/「金払ってでも見たい」
明治から大正にかけて、多くの日本人が移民として北米大陸に渡った。差別や偏見を受ける厳しい生活の中で、日系人社会に広がったのが野球だった。
アマチュアの中で強豪といわれる日系人チームが多数生まれ、大正期になると祖国で試合をしたいという日系人チームがでてきた。
豊中運動場では1918(大正7)年ごろから、来日した日系人チームと在阪チームの試合が組まれるようになり、中等学校野球と並ぶ豊中運動場の人気ゲームとなる。
1921年の秋は、日系人チームや米国人チームが相次いで来日。豊中運動場には9月23日から10月9日までの17日間で3チームが訪れ、計8試合を行った。
9月23~28日に豊中運動場に登場したのは、カナダの日系人チーム「バンクーバー旭」。21世紀になってカナダ野球の殿堂入りを果たし、映画「バンクーバーの朝日」(2014年)で一躍有名になった。
23日にダイヤモンド倶楽部(関西の慶応OBチーム)、翌24日に商神倶楽部(神戸高商OBチーム)、28日にスター倶楽部(関西の早稲田OBチーム)と対戦した。
ダイヤモンドに対しては、敵失に乗じて得点を重ね、雨が激しくなった6回にコールド勝ちを収めた。また商神には完封勝ちを飾る。スター倶楽部との対戦は、8回に同点に追いつかれて延長にもつれ込み、11回日没引き分けに終わった。バンクーバー旭は2勝1分けで貫禄を見せた。
続いて10月2~4日に乗り込んできたのは、米国人チーム「カナディアン・スターズ」だった。その強力打線と巧みな試合運びで在阪チームを圧倒する。
2日のスター戦は、11安打11得点の猛攻で完封勝利。3日のダイヤモンド戦も完封勝ちを飾った。
4日は前年5月に誕生した大毎野球団と対戦した。大毎が1回表に先制したものの、カナディアンは本塁打1本を含む長打攻勢で勝利を収めた。
10月8、9日は、米国黒人チーム「シャーマン・インディアン」がやって来た。パワーあふれる黒人球団の登場に、土、日曜の豊中運動場は超満員となった。8日のスターは、少ない好機を得点に結びつけ、シャーマンの打線を本塁打の1点に抑えて快勝。翌日のダイヤモンドは、8回表に本塁打を含む4安打を集中して試合を決めた。
この8試合は、豊中運動場開場以来、初めて入場料を徴収した。大阪時事新報社後援のバンクーバー旭戦と、日本運動協会が招待主催したシャーマン戦は「一等席2円、二等席1円、三等席50銭」。カナディアン戦は同球団の主催で「一等席1円、二等席50銭」だった。カナディアン球団は「旅行費の補充のため」とした。
「金払ってまで見るもんじゃない」と思われていたスポーツが、「お金を払ってでも見たい」に進化する。その証しが豊中運動場に刻み込まれた。(松本泉)
▽1921年の外国チーム戦
【9月23日】
バンクーバー
200020=4
10000 =1
ダイヤモンド
(六回コールド)
【9月24日】
商神倶楽部
000000000=0
00000301×=4
バンクーバー
【9月28日】
スター倶楽部
10000002000=3
00020010000=3
バンクーバー
(延長十一回)
【10月2日】
カナディアン
200000126=11
000000000=0
スター倶楽部
【10月3日】
カナディアン
004010040=9
000000000=0
ダイヤモンド
【10月4日】
大毎野球団
100000000=1
00100011×=3
カナディアン
【10月8日】
スター倶楽部
001010100=3
000000100=1
シャーマン
【10月9日】
ダイヤモンド
000300040=7
000002010=3
シャーマン
=2018.01.01
更新日時 2018/01/01