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編集長のズボラ料理(246) 菜の花の煮びたしトロロ昆布乗せ

煮びたしにするので、煮すぎるのは禁物

 春は苦い。そう思う。でも……。
 例えばフキノトウ。春を告げる食べ物の代表の1つだ。天ぷらにして食べる。すると、苦みが口の中に春をもたらす。だから、「この苦みがいいんだよなあ」と言ってありがたがることになる。ただこの流れは、早春の儀式みたいなもので、心から発した「口の中の春」なのか、心から思った「いい苦み」なのか、ちょっと怪しい。
 ちょっと里山を歩けば、フキノトウはある所にはいくらでもある。それを見ると、ありがたくも何ともなくて、引き抜いて持って帰ろうという気持ちも失せてしまう。
 苦みは、うまみかというと、そうでもないような気がする。ある早春の日、友人の家に遊び仲間が集まった。僕がいくつか料理を作ることになった。そこで満を持して、フキノトウと豆腐の混ぜ焼き(編集長のズボラ料理の25回)を作った。春への思いを強く意識して調味料は抑え、味は白だしを少し使ったくらいだった。
 狙いは成功した。フキノトウの苦みは全開で、春はすぐそこまで来ているかに思えた。ところがメンバーの1人の女性が言った。「私、この苦み嫌い」。この一言で、食卓に氷点下36度の寒気が流れ込み、僕の心は真冬に逆戻りした。春は苦いと思い込んでいても、苦い思いをすることはある。
 人はさまざまだから、正解は1つではない。有名な話がある。ある授業で、問いは「雪が溶けると何になるか?」。普通の答は「水」。しかしある子どもが「雪が溶けると春になる」と答え、先生は正解にしたという。
 あまり有名ではない話がある。立教大学の英語の授業で、「 I live in Tokyou」を過去形に直せ、という問題が出た。受講生だった長嶋茂雄は「I live in Edo」と答えたそうだ。正解でも良さそうな気がする。
 菜の花も苦い。春の苦さの象徴でもある。しかし、ここまで書いてくると、なぜ食べるのか自信がなくなってくる。
 菜の花について、もう1つ疑問に思うことがある。食べるのは花が咲く前で、つぼみはついているのだが、黄色い花は咲いていない。なぜだろう。黄色が混じっている方が美しいと思うのだが。
 ひょっとすると、花が咲くと苦みがなくなるのだろうか。だとすると、そこまでして苦みを選んでいることになる。良薬は苦いけれども飲むのだが、春は求めて苦みを口にする。
 菜の花は適当な長さに切る。固い茎の部分と、柔らかいつぼみの部分に分けた方がいい。鍋で濃いめにだしをとり、みりん、しょうゆで味をつけて熱する。まず茎の部分を入れ、しばらくしてつぼみの部分を入れて少し煮る。柔らかくなる前に火を止め、煮びたしにして味をしみ込ます。皿に盛り、だし汁も少し入れ、菜の花の上にたくさんのトロロ昆布を乗せる。そして、「この苦みがいいんだよなあ」と言って儀式を終える。(梶川伸)2017.02.26

更新日時 2017/02/26


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