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豊中運動場100年(31) 全国大会目指し予選大会 出場かけ阪奈和8校激突

高校野球メモリアルパークの銘板には「高校野球発祥の地」と記されている=豊中市玉井町で

 1915(大正4)年8月に現在の夏の甲子園大会の第1回大会を豊中運動場で開催することが決まる。全国から豊中に代表校を集めて選手権大会を開くという日本初の試みだった。しかし、大阪朝日新聞に社告が載った7月1日から開催まで2カ月足らず。関係者は不眠不休で開催にこぎつけた。
 参加校の資格は「その地方を代表する各府県連合大会の本年大会の優勝校」だった。朝日新聞社は京津(京都と滋賀)、兵庫、山陽、九州の4地区で予選大会を開くことを決め、それ以外の地区では従来から開催されている大会の覇者に参加資格を与えることとした。
 ところが開幕まであまりに時間が短すぎた。北陸では、四高主催の北陸大会が既に8月22日開幕で決まっており代表校を出せないと連絡してきた。また東京は「本年大会の優勝校」とされたことから3月開催の東京都下大会の優勝校を代表校にすることになった。東北では、単独で東北の代表校として申し込んできた秋田中に対して朝日新聞社が「予選大会の結果を送ってほしい」と要請。急きょ秋田県内の3校で臨時の東北大会を開催して代表校を決めた。
 大阪朝日新聞社会部記者だった田村木国氏は開催に向けて奔走した当時を振り返り、全国高校野球選手権大会史でこのように述懐している。
 「八月中旬に大会を開くとして、それまでの一カ月半に地方予選会をどうしてやるか。この方はまず無理矢理にできるとしても、果たして優勝校の中学生が九州の果てから東北の隅からわざわざ大阪へ来てくれるかどうか。今日から思うとウソのような話だがその時の一番大きな懸念だった」
  準備が急ピッチで進む中、豊中運動場では夏の恒例となった美津濃商店主催・関西学生連合野球大会の第3回大会が8月7日に開幕。この大会は全国中等学校優勝野球大会の大阪・奈良・和歌山の予選を兼ねることになった。
 京阪神を中心に関西の強豪16校が出場、このうち大阪工業、八尾中、市岡中、明星商業、大阪商業、高野山中、耐久中、和歌山中の8校で1ブロック、その他の地域の出場校でもう1ブロックを組み、準決勝第2試合が阪奈和予選の決勝となるように組み合わせのヤグラが組まれた。
 全国大会出場をかけた熱戦に大歓声があふれた。(松本泉)
  ◇
【第3回関西学生連合野球大会(8月7、8日)】
▽1回戦
大阪工業 12―5 八尾中
市岡中   4―2 耐久中
明星商業 10―0 高野山中
和歌山中 16―0 大阪商業
神戸二中 11―5 岡山中
京都二中  5―1 御影師範
神戸一中  7―0 京都一商
伊丹中(不戦勝)

大阪朝日新聞社

更新日時 2014/09/12


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