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豊中運動場100年⑮一騎打ちに沸く棒高跳び 日本オリンピック第2日

日本オリンピック会場の平面図。トラックがほぼ正方形に設けられたことが分かる

 1913年10月17日に開幕した日本オリンピック大会は第2日を迎えた。正午すぎには第4師団軍楽隊が行進曲や歌曲を演奏。観客席は立すいの余地もなかった。
 会場の見取り図が残っている。東西150メートル、南北140メートルの豊中運動場の中央に、ほぼ正方形の1周400メートルのトラックを設けたことがわかる。現在の陸上競技用トラックとは形状が相当異なっている。コーナーやレーンをどのようにとったのかまではわからない。しかし、100メートル走では予選は1組10人、決勝は4人、400メートル走では予選を1組15人、決勝は5人で行っているところを見ると、レースごとにレーンを変えた可能性が高い。また、投てきや跳躍はグラウンドの角部分をフィールドにした。
 午後1時に競技開始。200メートル走予選に続き槌(つち)投げ(ハンマー投げ)が行われた。一般の観客にとってはあまりなじみがない競技で、あらぬ方向へハンマーが飛んでいくと「クスクス」と笑い声が広がった。16.08メートルを記録した小原弘選手(大阪高等工業学校)が優勝した。
 この日の会場を最も沸かせる大熱戦になったのは、800メートル走予選に続いて行われた竿(さお)跳び(棒高跳び)だった。競技の途中から激しい雨となったグラウンドで、平佐周三選手(第三高等学校)とクリステンセン選手(神戸)が壮絶な一騎打ちを繰り広げる。観客は頭や肩をぬらせながら息をのんで激闘を見守った。結局、「さんこう、さんこう」の大声援を受けた平佐選手が3.04メートルをクリアして優勝を飾った。
 雨が上がって迎えたのが注目の100メートル走決勝。前日の予選を1位で通過した4選手が出場した。1選手がフライングして1メートルのペナルティーを科されたものの、好レースを展開。12秒2で岡本栄二郎選手(大阪)が1位になった。また5人が出場した400メートル走決勝では、佐々木芳朗選手(愛知一中)が1分4秒06で優勝した。
 ハードルをリズミカルに駆け抜けていく障害走。当時の日本では競技者がほとんどいなかった。トラックに白いハードルを並べていくのを見た観客は「何が始まるのか」と不思議がった。競技者の経験はさておき、五輪の正式種目となっていることから日本オリンピック大会でも100メートル障害走として実施することになる。しかし、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら走ったり、ハードルを倒し続けたり、ハードルとともに転倒する選手が続出。関係者はあまりの悲惨な結果にぼう然とした。(松本泉)
=2013.12.18

日本オリンピック大会 第4師団軍楽隊 槌投げ 平佐周三 岡本栄二郎 佐々木芳朗

更新日時 2013/12/18


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