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編集長のズボラ料理(600) イワシとゴボウとモヤシのつみれ揚げ

ゴボウ、モヤシは長すぎると球形の団子かあはみ出してしまう

 自宅近くのスーパーでは、魚を2枚や3枚におろしてくれる。これはありがたい。僕は魚をさばくのが極端に下手だから、そのスーパーには感謝している。
 僕が魚をさばけないのには、悲しい理由がある。若いころ、毎日新聞の記者として大阪府・南河内地方を担当していた。ノンビリした地域ということもあって、ライバル会社の記者とも仲が良かった。
 ある時、その彼に、川釣りに誘われた。僕は釣りをしないので、竿など道具を持っていない。しかし、彼は親切で、持っている竿の1本を貸してくれるという。それならと、千早赤阪村に出かけた。
 木々の緑に包まれた場所で、瀬音を聞きながら川で釣ることになった。何という気持ち良さ。男の友情の清々しさ。初めての川釣りにルンルン気分だった。
 さあ、たくさん釣るぞ。竿を用意した、その時だった。濡れた岩に足を滑らせてしまった。それだけならいいのだが、尻餅をついた。そのとたん、折れてしまった。足の骨ではない。折れたのは借りた釣り竿だった。竿は尻の下にあったのだ。暗転。
 気のいい彼は、「いいよ、いいよ」言ってくれた。しかし、こちらは申し訳なさとバツの悪さで、言葉も出ない。そして、地獄のような時間が流れた。釣り場に着いたとたんの出来事で、すぐ帰るわけにもいかない。彼が釣るのを、ジッと見守る罰ゲームの時間の長さ。
 以来、釣には行かないことにした。だから、魚との縁は薄く、さばく技を見につけることはなかった。定年になって、ズボラ料理を始めても、千早赤阪村のトラウマは消えるkとはなく、魚は苦手のままだ。
 スーパーでは、どのくらいの大きさ、小ささの魚までさばいてくれるのだろうか。そのことに気を遣う。タイは、堂々と頼める。魚の王様みたいなものだから。魚として。本職にさばいてもらいただろう。
 サバはどうか。大き目のものなら、さしつかえない。アジは微妙だ。大きいものなら問題はない。コアジを頼んだら、ぶっ飛ばされる違いない。
 イワシはどうか。ダメに決まっている。しかし、自分でさばく技量がない。しかし時々、頭とはらわたを取ったものを並べている。いつもではない。担当者がひまな時か、気分がは乗った時に、さばくのだろうと、勝手に想像している。
 これを買ってくる。手で中骨を取る。グジャグジャになっても皮わない。包丁で切ったりたたいたりして、つみれにするので。
 つみれをボールに入れ、はんぺんもつぶして加える。ゴボウはささがきにし、モヤシは適当な大きさにしてボールに入れ、生卵も割り入れ、刻みネギ、カタクリ粉、みそ少々も加え、よく練ってボール状にし、油で揚げる。
 川釣りのことを思い出すと、河内音頭が頭に浮かぶ。河内音頭の歌詞はストーリーになっている、代表的なものに「河内千人斬り」があり、歌詞に「赤阪千早の物語♪」と出てきて、凄惨な出来事へと展開していく。(梶川伸)2022.05.14

更新日時 2022/05/14


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