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編集長のズボラ料理(375)ゲソのアンチョビ炒め

もちろん、イカの胴の部分を使えばさらにいい

 「男は度胸、女は愛敬」と言う。いや、言っていた。今はできるだけ言わない。ジェンダー論から考えてもそうだし、現実にも度胸なら女性の方に軍配が上がる。
 以前、新聞の記事で、高知県の東西2つの岬を対比して、「男性的な室戸岬、女性的な足摺岬」と書いて、校閲の記者に「おかしい」と指摘されたことがある。男性的、女性的は勝手な思い込みであったり、長い歴史の中でそのように位置づけられたりしたからだ。
 料理は「作るのは度胸、食べるのは愛敬」だと思う。初めてのものは、作ってみなければおいしいかどうか分からない。だから作る度胸がいる。
 弟夫婦が遊びに来た時に、豆モヤシのナムルを一品として出したことがある。ところが、作り方を知らない。そこで、エイッ、ヤーである。焼き肉屋さんのナムルを思い出すことにした。
 シャキシャキした歯ごたえがナムルの命だろう。後はゴマ油と塩に和えればいいのだ。シャキシャキなのは、生だからではないか。それが結論だった。度胸で生でテーブルに乗せてしまった。大変な増し替えである。
 料理自慢の弟の奥さんは口にしてすぐさま、「これ、生じゃないないの」と言った、その言葉で、「やっぱりゆでるのか」と後悔した。
 ところが奥さんは、ニコニコ、いや、ニヤニヤしているだけ。食べる者は愛敬が必要なのだ。ただ、奥さんから「ごちそうま」がなかった。
 行きつけの居酒屋さん「大輝」のおばちゃんがダウンしたことがある。店には出るが、料理があまり作れないという。「それなら僕が」と、つい言ってしまった。
 お金をもらう客に出すのだから、これこそ「作るのは度胸」である。和風の総菜の店だが、和食は難しすぎる。そこで、カウンターの内側に入り、イカを炒めてアンチョビで味をつけた。初めてのことである。
 客はいい迷惑だった。イカを水洗いし、水分をよくふかずに炒めたので、ベチャベチャになった。客は店での知り合いだったから、文句は言わない。食べるには愛敬がいるのだ。ただ、おばちゃんの一刻も早い快復を願いながら食べているのは読み取れた。
 イカは胴体の部分はメーンの料理に使う。残ったゲソ(足)と耳の部分を活用し、適当に切って、水分を拭き取る。フライパンにオリーブオイルをひき、ニンニクの薄切りを入れてゆっくりと熱する。ニンニクを取り除き、イカを炒めて、最後にアンチョビ、もしくはアンチョビソースで味をつける。
 大輝での失敗以来、かなり上達したつもりだが、その後、おばちゃんから「また作って」の言葉はない。(梶川伸)2019.09.25

更新日時 2019/09/25


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