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編集長のズボラ料理(97) 煮豆とミョウガのサラダ

主役は豆で、あとは好みのものを加える

 僕はアパートの1階に住んでいる。小さな庭があって、毎年ミョウガが生えてくる。
 そうなると、収穫してみたくなる。茎と葉が伸びて、庭の一角を占拠してしまうが、食べるために我慢する。
 最初の収穫は一昨年だった。実はどうすればいいのか知らない。ミョウガの茎が伸びてきたので、7月に引き抜いた。ところが、実(実際は花穂らしいが)の姿がない。そのことを友人に話すと、「お盆のころまで待ちなさい」。
 昨年はお盆に合わせてみた。2、3本一緒に茎を引っ張る。地下茎でつながっているので、なかなか抜けない。思いっきり力を入れると、僕の腰が「茎」ならぬ「キク」っといって引っくり返りそうで怖い。そこで1本ずつ抜くことになる。ところが、実は引き抜いた茎の下についているのではなく、茎のそばの土の中から少し顔をのぞかしているのに気づいた。それでも小さいのが2、3個。
 そして今年。8月末まで耐えに耐え、茎は抜いたり、はさみで切ったりして、そばの実だけを狙った。その数8個。3年目にしての大収穫。これは、みんなに報告せねば。
フェイスブックで、とれたてのミョウガの写真を載せた。さっそく、毎日新聞時代の同僚から反応があった。「家庭菜園冥(みょう)ガに尽きますね」
 元同僚は、ダジャレばかり書いてくる。これも「冥利」と「ミョウガ」の、苦しい引っかけである。そこで、こちらも応酬した。「ミョウガの食べ過ぎで物忘れがひどく、そんな言葉があったのか定かではなく、みょうがないことです」。どうだ!
 すると同僚は、フェイントをかけてきた。「釈迦(しゃか)の弟子の1人が、あまりに物忘れがひどく、果ては自分の名前まで。見かねた師が、名前を書いた札=名荷(みょうが)を首から下げさせたそうですが、それも忘れる始末。ミョウガを食べると物忘れするというのは、お釈迦さまにもまつわる、ありがた〜いダジャレだったんですね。合掌」。ウーム、元同僚は物知りだからなあ。
 それなら、これでどうだ! 「僕はブッキョウよりラツキョウ派なので、いわれは、いわれるまで知りませんでした」
 元同僚は、まだ食い下がる。「ラッ教では、うれしいことがあったとき、ラッキョー!と唱えるのでしょうね」
 フェイスブックでのやりとりの難しいのは、どこでやめるか、という点である。
 収穫したミョウガは、細切りにしてすぐに使う。買ってきた豆の水煮と混ぜ、さらに細切りの塩コンブ、大葉の細切りも加え、薄めたそうめんつゆか、白じょうゆをかけて食べる。量などすべて適当で、人がどう見ようが、構わない。でも、ちょっと妙がなあ。アカン、まだダジャレが続いている。(梶川伸)2014.09.04

ミョウガ

更新日時 2014/09/04


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