編集長のズボラ料理(185) ジャガイモの短冊サラダ
ジャガイモのサラダは、男なら80%が「イモサラ」と呼ぶ。これは長年の居酒屋通いの中で、客の注文を注意深く見つめ、感得した経験則だ。
残りの17%は「イモサラダ」と呼ぶ。この人たちはとても几帳面で、たいてはネクタイをきちんと絞めている。最後に残った3%は「ジャガイモのサラダ」と正式名を使うが、こんな人に出会ったら、良くないことが起こりそうな気にさせる。
イモサラといえば、ジャガイモをゆで、それをつぶしてマヨネーズであえる。居酒屋さんでは、ほぼ100%正しい。イモサラ何を言ってるのだ、と思うかもしれないが、固定観念の話だ。
固定観念を振り払うのは、なかなか難しい。例えばジャガイモを煮る。当然、水を熱し、ジャガイモを入れて、味をつけていく。当たり前だ。僕もそう思う。
四国遍路で、愛媛県久万高原町の44番・大宝寺にお参りした時のことを思い出す。昼食は近くの「物産館みどり」にした。地元の農産物を売っている店で、簡単な食堂が併設されている。ヨモギうどんを食べた。ついでにジャガイモの煮っころがしも。
ジャガイモは水ではなく、お茶で煮てあった。固定観念がガラガラと崩れた。固定観念は自分からは崩しにくく、たいていは外部から崩される。この時もそうだった。
高松に住んでいた時、「遊」という店によく世話になった。単身赴任の身だったこともあり、行くと総菜のようなものを見つくろって、適当に出してくれた。イモサラが出てきた時、「ほー」と言葉が出た。ジャガイモはつぶしてなく、短冊の形だった。
考えてみれば、イモサラはつぶすのが絶対条件ではない。形は自由なはずだ。ところが、そんな簡単なハードルが越えにくい。こちらの「ほー」に対して、女将は「短冊にしただけじゃないの」と不思議がっていた。
ジャガイモは皮をむき、厚みのある短冊に切ってゆでる。ゆですぎると形が崩れるので、やや固いうちに早めに湯から取り出し、しばらく置いて余熱で中まで火を通す。鍋の中のジャガイモに串をさして、ゆで具合を見る。これは女将が教えてくれた。塩、コショウをまぶし、マヨネーズであえる。何というこもないイモサラだが、見かけることは案外少ないと思う。(梶川伸)2016.04.28
更新日時 2016/04/29