編集長のズボラ料理(77) 竹輪の甘酢炒め
棒状のものがついていると、何となく趣が出る。特に細いもの、串を使うものに、その傾向が強い。串カツがそうだし、焼きトリだってそうだ。
本来は手で持って食べやすいようにしたのだろうが、ちょっと疑問がある。例えば焼きトリの場合を詳細に検討してみる。串には鶏肉がたいてい3つ縦に並んでいる。当然だが、串の先についているものから食べる。
1つ目は、串を口との角度をほぼ45度にして構え、串を口の中に差しいれて、歯で1つ目と2つ目の間をかみ、1つ目を引き出して食べる。串がついているので楽々である。
ところが、2つ目からはテクニックが必要になる。口に鶏肉2つ分の長さだけ串を入れると、串の先で口の中を刺してしまう危険性が出てくる。3つ目ともなると、その確率はゆうに8割を超える。
だから、2つ目以降は串を口と並行にしたまま唇に接近させ、歯をむき出して鶏肉の横をくわえ、その状態で串を引いて、何とか口から離し、身の安全を確認してから食べる。そう考えると、串に刺しているのは必ずしも便利だからではなく、趣の問題だという結論に達する。
もっと太い棒状のものは、2つの流れがある。ケチャップをつけて食べるフランクフルトソーセージはもとより、イカの姿焼き、輪切りにして焼いてトウモロコシ、冷やしたキュウリも棒をつけて売る店が増えた。棒は割りばしなどを使い、食べる対象は鶏肉よりかなり大きいので、串ほどの危険性はない。そうなると、棒は食べやすさを求めた結果の可能性が高い。
その反対の流れは、竹輪である。以前は竹輪と言えば、竹を心棒にしている食べ物だった。徳島県・小松島港は竹輪が名産で、和歌山港に向かう船の中で、竹輪をかみながら、ビールを飲んだものだった。この場合は、竹輪は唇と並行状態にして食べる。ところが、竹に近い部分はうまく食いちぎれない。だから、意地でも身の部分をきれいに食べ切りたいという願望が強まり、歯でチビチビとこそげ取るので、たった1本でもビールがたくさん飲めるのである。
ところが、竹に巻いたものは、ほとんどお目にかからなくなってしまった。竹の代わりにプラスチックの棒を使った竹輪がある。棒と身は密着していないので、つい棒を引き抜いてから食べてします。では、何で棒がついているのか。そう考えているうちに長い年月がたち、いつの間にか竹輪は中央部が空洞の筒状になってしまった。食べやすいから、ムシャムシャ食べる。歯でこそげ取る手間がいらないので、すぐに食べ終わる。竹輪1本で飲める缶ビールは1本まで、ということになる。このところ、竹輪の存在感が薄れてきているのは、そのせいではないか、と僕は考える。ビールを飲みながら。
そこで、起死回生の策として、竹輪を主役にしよう。アゴ(トビウオ)の竹輪は味に存在感があり、そのまま食べても主役になる。ところが、スーパーで売っている4本か5本が袋に入っている竹輪にはその力がない。添えものに甘んじることが多い。竹輪好きの僕としては可愛そうでならず、そんな竹輪に光を当てたいのだ。
竹輪は縦半分に切り、さらに斜め切りにする。竹輪と青ネギを油で炒め、しょうゆと砂糖と酢で甘酢を作った甘酢をからめ、さらに少し炒める。皿に盛って、ご飯のおかずにするが、僕の場合はビールのあてにすることが多い。これは、歯をむき出しにする必要はない。(梶川伸)
更新日時 2014/03/04