編集長のズボラ料理(65) ハムマヨゆで卵
一時期、仲間うちで「一力に行こう」という言い方がはやった。一力と言えば、京都・祇園の高級料亭である。赤穂浪士の大石内蔵助(くらのすけ)が討ち入りの計画をカモフラージュするために通った、由緒正しき店でもある。一見(いちげん)の客では上げてもらえないらしい。
では、僕らがなじみ客かというと、赤い壁は何度も見てなじんできたが、一歩たりとも店の中には入ったことはない。飲み友だちと「一力に」となれば、赤壁に沿って歩き、時には「久しぶり」と言って赤壁に触れ、裏の路地に折れて、リーゾナブルなおばんざいの店へのコースを取る。一力は路地をはさんですぐ北側だから、2万5000分の1の地図で見れば、誤差の範囲なのだ。
実は僕には、一力に行けない残念な理由がある。江戸城松の廊下で大石の主君、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(こうずけのすけ)に切りつけた時、「殿中でござる」と言って、浅野を羽交い絞めにして止めた男がいる。これに対して浅野は「武士の情けでござる。お留めなされるな、梶川殿」と懇願した。と、三波春夫は歌っていた。
止めた男こそ、梶川与惣兵衛(よそべえ)という。はるか元禄の世の出来事でありながら、赤穂浪士の人気はいまだに高く、自民党の政党支持率を大きく上回る。与惣兵衛は情け知らずの男として、すこぶる評判が悪い。そんな世論調査結果を知っているので、一力など行けるはずがない。初めて一力の裏に誘った友人には、以上の長い話をして、一力に行かなかった理由を納得してもらう。付け加えると、僕は与惣兵衛の子孫でも何でもないのだが。
料亭など、とんと行く機会がない。しかし、数年前から、正月は料亭で食す。偉そうに
書いたが、正確には料亭の味を食べる。デパートでおせち料理を注文しているからだ。
大みそかにそれが届く。しかし、子どもたちが来ると、大みそかから食べ物が必要になる。そこで、わが家のおせちなるものを僕が作る。朝から延々と作り、一部は夜から食べ始める。
子どもたちは和食にあまり関心がないから、作るのは洋食が多くなり、おせちとは程遠いものができ上がり、新年が開けると、和洋2つのおせちが並ぶことになる。取り寄せた方は上品で美しく盛り付けてある。こちらは、ボリュームで勝負なのだが、結構善戦する。それは子どもたちのわがままを聞いているからだ。最近はあれを作れ、これを作れと要求型である、
要求はエスカレートする。1人住まいをしている息子はたいてい、2日午前中に帰って行く。食い逃げである。毎年恒例でその夜、友だちが自分の家に集まるからだ。そこで、料理を持って帰ると言い出す。余分に作ることにも慣れてきたが。
それなら、料亭のおせちを頼まなくてもいいではないかと思うかもしれない。そうではない。料亭から届く容器はしっかりしていて、使い捨てはもったいない。洋風おせちを詰め、息子に持って帰らせる重箱の役割を、十分に果たしてくれる。
子どもたちはこのところ、正月には必ずハムマヨゆで卵を注文してくる。ゆで卵を半分に割る。黄身を取り出し、細かく切ったハムとパセリとマヨネーズを加え、コショウもふって、かき混ぜる。それを卵の黄身が入っていた穴に入れ直す。オードブルで時々見るものだが、これなら安上がり。一力では、多分出ないと思う。(梶川伸)
更新日時 2013/12/15