このエントリーをはてなブックマークに追加

心にしみる一言(99) 紙芝居は現実を垣間見させて、子どもと子ども、おっちゃんと子どもが論議する場だった

鈴木さんに話を聞いた大阪市住吉公園

◇一言◇
 紙芝居は現実を垣間見させて、子どもと子ども、おっちゃんと子どもが論議する場だった

◇本文◇
 「メディアとしての紙芝居」(2005年)を著わした鈴木常勝さんは、紙芝居を街頭紙芝居、国策紙芝居、教育紙芝居、伝道紙芝居と分類していた。自身は土曜、日曜に大阪市の住吉公園や長居公園で「紙芝居のおっちゃん」として店開きし、それが業としてなりたつようにしたいと考えていた。
歴史の中で「紙芝居はこじきと見られていた。失業者がやっていた。旅芸人の蔑視と結びついた」と分析し、「街頭紙芝居は子どもよろしくない、といういう批判にさらされた。教師からも警察からも圧迫された」と語る。取り上げた言葉は、次の文脈の中にあった。
 「冒険ものは勇気をくみとる。継子いじめは、世間のつらさに耐えて生きていくことを知る。現実を垣間見させて、子どもと子ども、おっちゃんと子どもが論議する場だった。おっちゃんは教師のように権威ではないから、普通の大人との出会いの中で、小さい子が、大人の悪と善を垣間見た」
 そして、「紙芝居は教育にはならなかったかもしれないが、成長には必要だったと位置づけた。(梶川伸)2017.04.07

更新日時 2017/04/07


関連地図情報

関連リンク