豊中運動場100年(77) 全国中等学校優勝野球大阪予選/乱闘騒ぎが水差す
第3回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)の大阪代表校を決める第2回大阪野球大会(大阪高等商業学校主催)は1917(大正6)年8月1日から、豊中運動場で開かれた。全国大会は第2回まで豊中運動場で開催されたが、収容人員や鉄道輸送力などが問題視されたため、第3回から会場を鳴尾運動場に移した。
全国大会は鳴尾に移ったが、大阪代表を決める予選大会は引き続き豊中運動場で行うことになる。豊中運動場の夏はやはり中等学校野球で盛り上がった。
第2回大阪野球大会に出場したのは、関西甲商、八尾中、市岡中、市立大阪工、明星商、桃山中、北野中、大阪商、大阪貿易の計9校だった。全国レベルの実力を持っていた市岡中、北野中、明星商を軸に優勝争いが進むと予想された。
中等学校野球の人気が年ごとに高まるにつれて応援は過熱していく。今では想像できないような事態が起こった。
1回戦の明星商―桃山中の試合開始前だった。桃山中は前年、決勝で市岡中に敗れて全国大会出場を逃していた。むしろ旗を先頭にした桃山中の応援団は応援席の前に整列。相対する形で選手たちが整列すると、応援団長は懐から檄(げき)文を取り出して朗々と読み上げた。「昨年の雪辱を果たすため、石にかじりついても勝て」。涙を流しながら読み上げ、最後の署名部分には、団長の血判がべったりと押されていたという。
決勝の北野中―明星商では応援の生徒が暴走した。お互いに点を奪い合う展開となり、得点するごとに両校の応援席から大歓声が上がった。先行する明星商に必死で食い下がり得点を刻む北野中の応援の生徒たちが、興奮のあまり選手のベンチまで押し出してきた。ベンチも応援席もわからないような状態で試合が進む。選手たちはたまらず「後ろに下がれ」と言うが、興奮した生徒の耳に届かない。やむをえず係員がベンチと応援席の間に縄を張ろうとすると、数人の生徒が係員に飛びかかり殴り合いを始めた。思わぬ“場内乱闘”で試合はしばらくストップしてしまった。
応援を巡る乱闘騒ぎは日常茶飯事。相手校を口汚くののしるやじ合戦は、中等学校野球の名物にさえなっていた。
北野中と明星商の対決となった決勝は8月6日午後2時半に始まった。序盤で6点を挙げた明星商に対し、北野中が小刻みに得点して追い上げる試合展開になった。北野中は6回表に4点を挙げてついに同点に追いつくが、その裏に明星商が4点を奪って再び突き放す。北野中は九回表に1点差まで詰め寄ったが力尽き、明星商が11―10で辛くも逃げ切って勝利を飾った。
スコアだけを見れば大激戦だが、試合内容は今一つだった。両校合わせて21四死球、15失策を記録。四球や敵失で塁が埋まり、さらなる失策で得点を挙げるという場面が何回もあった。応援の生徒たちが騒ぎを起す原因の1つに、締まらない試合展開があったのは事実だろう。試合より乱闘騒ぎの方が耳目を集めるという、何とも言えない大会になってしまった。(松本泉)
◇第2回大阪野球大会(8月1日~6日)
【一回戦】
関西甲商 10―7 八尾中
市岡中 16―1 市大阪工
明星商 6―0 桃山中
【二回戦】
北野中 5―2 大阪商
明星商 6―1 関西甲商
市岡中 6―2 関西甲商
大阪商 17―2 大阪貿易
【準決勝】
北野中 5―4 大阪商
明星商 9―2 市岡中
【決勝】
北野中 002104201=10
明星商 42010400×=11
更新日時 2016/11/16