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ノーベル賞受賞者で豊中市名誉市民の南部陽一郎さんが死去

南部陽一郎さん

 2008年ノーベル物理学賞受賞者で豊中市の名誉市民だった南部陽一郎さんが7月5日、急性心筋梗塞(こうそく)のため死去した。94歳だった。豊中市は南部さんと豊中市の関わりなどの資料を提供した。
【南部さんと豊中市】=豊中市提供の資料から
・妻・智惠子さんのご実家が豊中市にあったことから、大阪市立大学で教授されていたころ(昭和24年~26年)には、豊中にお住まいでした。アメリカに移られ、その後、日本でのご自宅を豊中に新築されてからは、毎年帰国されて豊中に滞在されていました。
平成23年10月、豊中市では南部さんに豊中市初の名誉市民の称号を贈呈しました。
・平成23年10月=市制施行75周年となるこの年、南部さんに豊中市初の名誉市民称号を贈呈。10月15日の贈呈式にご出席いただく。また、同日発行の冊子「豊中リレーエッセー」に、南部さんより特別寄稿としていただいたエッセー「第二のふるさと」を掲載。
・平成24年1月=教育センターで、市内や近隣の学校の理科部や科学部がブースを出展し実験などを披露するサイエンス・フェスティバルを開催。この年、「南部陽一郎賞」を創設し、南部さんご本人から表彰状と盾を受賞校に渡してもらう。
◇南部さんの妻、智惠子さんのコメント
 私が夫と出会ったのは、宝塚にあった陸軍の研究施設でした。私の一目ぼれでございました。
 それ以後、豊中、アメリカのプリンストン、シカゴ、そして再び日本へ。苦労もありましたが、70年あまり、ほがらかな道をともに歩んでまいりました。夫を失い、ただただ悲しみにくれています。
◇南部さんの子息、南部 潤一さんのコメント
 亡き父、南部陽一郎は、物理学者としての生涯を全ういたしました。
 父の学業・業績に対して、輝かしい栄誉をいただき、大変感謝いたしております。私には物理の世界のことはよく分かりません。ですが、父として人間として、とても立派な人でありました。さびしい思いでいっぱいです。
◇淺利敬一郎市長のお悔やみの言葉
 豊中にご自宅を設けられていたご縁で、南部陽一郎さんには、豊中市初の名誉市民と なっていただきました。
 豊中を「第二のふるさと」とおっしゃっていただき、とりわけ、豊中の子どもたちの活動に対しては、たいへん熱心にかかわっていただきました。子どもたちが科学の実験を発表する「サイエンス・フェステイバル」において、全グループの発表ブースを予定の時間を超えてまで、まわっていただいたこともございました。「子どもたちには大きな夢を描いて生きてもらいたい」とお話になっておられました。おだやかな中にも、何に対しても動じない質実剛健な印象が偲ばれます。
 数々のご厚意に感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。また、ご家族の皆さまに心からお悔やみ申し上げます。
=情報提供・豊中市(梶川伸)2015.07.18

ノーベル物理学賞

更新日時 2015/07/18


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