石橋発の馬車 「出してたのは親父」 谷田伊平さん
池田市畑3に住む谷田伊平さんは、1921(大正10)年生まれで、今年で92歳を迎える。池田の昔のことに詳しい人がいないかと探していたところ、池田畑郵便局の坂田博局長に「面白い人がいるよ」と紹介してもらった。訪れて話を聞いていると、とてもそんな年齢とは思えないほど元気な人だった。
まず尋ねたのは、「昔、畑地区には梅林広がっていた」という話についてだ。今は水月公園に梅林があるが、それとは別に梅の花が咲き誇っていたという。谷田さんは「そうやで」とうなずき、子どものころの様子を話してくれた。
「小学生のころだから、昭和の始めか。阪急沿線でも有数の名所で、大阪からたくさん見物に来ていた」という。今は当時から残る梅は数少ないが、名残は意外なところにあった。「秦野小学校の校章は梅の印やで。今の子らは、そんな畑の歴史を知ってるんかな」と遠い目をした。
さらに重ねた質問は、その梅林見物のため、石橋から馬車が出ていたことについてだ。谷田さんは「それ、うちの親父のことや」とはにかんだ。「親父と、その友だちとで、見物客相手に茶店をやろうという話になって、自分らで小屋を建てたんや。馬車の馬は、友だちが農耕馬として使ってたものを、その時だけ代用した」と説明する。
また、馬車は今のバスのように、定期的に走っていたわけではないらしい。「いわゆる上客の時だけ馬車が出る。バスはバスでも、旅館の送迎バスの方やな。普通のお客さんは、私らのような子どもが旗を持って石橋まで迎えに行き、歩いて案内してたんや」。そのころのことは、昨日のことのように鮮明に思い出せると話す。「そのくせ最近のことは出てこないんやけどな」と屈託ない。
谷田さんは、そうした昔のことをまとめた本も出している。2012年10月には、「栄町今昔物語」と題し、昭和初期の池田の中心部について、自身の思い出をつづった冊子を出した。「1杯5銭のうどんを食べて、その味を口に残しながら兄貴の手を握ったのを思い出すなあ」
多趣味な谷田さんは、絵もたしなんでいるが、その描き方は独特だ。「これを使うねん」と言って、何の変哲もない綿棒を取り出した。「それは、絵のタッチが柔らかくなるといった効果を狙ってのことですか?」と聞くと、ニヤッと笑って首を振った。「いや、人と同じことしても、おもろないやんか」。同じ理由で、文字は割りばしを使って書く。
谷田さんの元気の源は、好奇心の強さだ。自宅敷地内にある専用のアトリエには、ところ狭しと資料が積まれていた。(礒野健一)
更新日時 2013/02/13