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中蔵・豊中市議会議長 私生活では厳格な父親

生まれ育った実家は上新田。両親の墓もそこにある。父も1期だけだが市議を務めた

 豊中市議会第74代議長として選ばれた中蔵功さんは、豊中市以外の土地で暮らしたことがない。「生まれも育ちも豊中。子どもや孫たちもそうです」

 議員生活13年、4期目の67歳。議員になる前も緑丘の自治会長を務めるなど、地域活動に熱心だった。1996年、島熊山に大阪府の北部防災拠点としてヘリポート建設が計画された。自治会長だった中蔵さんは、千里緑地としての保全と建設の変更を求めて3万7000人以上の署名を集め、すでに予算が決定していた府の建設計画を断念させた。
これを機に「見ているだけの住民ではなく、アクションを起こしたい」との思いが強くなり、54歳で市議に立候補した。

 私生活では厳格な父親で、家族には元日の新年あいさつと盆の墓参りには「何があろうとも全員集まる」を課している。3人の孫の学芸会や運動会には必ず出席するという優しい祖父でもある。

 「豊中の転入転出数は毎年2万人。1%でも留まってもらうよう努力する」。議長として市民の声を幅広く市政に反映させ、暮らしやすい豊中をアピールしたいと語る。


(早川方子)

更新日時 2012/06/18


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