日本初の郊外住宅地 池田室町
今から101年前の1909(明治42)年3月30日。箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚線)が開通する1年前に、池田駅西の呉服(くれは)神社を中心とした一帯を、日本初の郊外住宅地として開発するため、くわ入れ式が行われた。1区画約100坪の土地に「天・地・日・月」4種類の2階建て木造住宅を建て、長期割賦方式で販売。当初、池田新市街と呼ばれたこの住宅地は、ほどなく室町と名を改め、「大富豪もいないが極貧もいない」という中産階級の街として歴史を積み重ねていった。
戸数も増えた1922(大正11)年には、室町在住で大阪毎日新聞事業部長だった橋詰良一さんによって「家なき幼稚園(現在の室町幼稚園)」が開園する。「家なき」とは、「子どもは家から開放し、自然の中で育てるべき」という橋詰さんの教育理念に基づく名称で、開園当初はまさに青空教室の装いだった。
3年前まで町の自治会である室町会(1923年創立)の理事長を務めていた別所正史さん(90)は、幼稚園の3期生だ。猪名川沿いでたこ揚げをし、夏になれば室町を流れる小川でコブナを取った。道幅と今は同じだが、車も来ないので道路でよく野球をしたという。
戦争を挟み、1950(昭和25)年に室町会は町会としては珍しい社団法人となった。町に誇りを持つ住人が、より強くつながりあった。
しかし、今の室町に当時ほどの連携はない。現在600世帯以上を数えるが、室町会に所属するのは半分ほど。米穀店を営む近谷孝さん(65)は「昔からの室町住民も減り、この先10年くらいでガラリと世代交代するだろう。継ぐべき伝統は継ぎ、新しいこともしていかなければ」と、変わる室町を冷静に見つめる。森綮子(けいこ)理事長(81)は「古い人が多くて大変と思うかもしれないが、そんなことはない。最初の一歩だけ踏み込んでくれたら」と話した。
隣同士のつながりが薄れてきたという、全国どこでも抱える問題が室町にもある。100年の歴史と伝統がそれをどう解決するか、楽しみだ。(礒野健一)
更新日時 2010/12/01