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魯山人、怒りの手紙 12月5日まで逸翁美術館で公開中

魯山人が小林に送った手紙

 陶芸家で、美食家として知られる北大路魯山人(1883~1959年)が阪急創業者の小林一三(1873~1957年)にあてた手紙が池田市の逸翁美術館で展示されている。自身の陶器の販売価格をめぐる怒りが原稿用紙4枚にびっしりと書かれており、逸翁美術館の伊井春樹館長は「魯山人の内面がわかる貴重な資料」と話している。
 手紙は今夏、小林の自宅だった「雅俗山荘」の屋根裏の段ボール箱の中から発見された。1943年ごろに書かれた手紙6通が見つかり、このほど4通が公開された。
 小林は、魯山人の陶芸を早くから評価し、阪急百貨店で個展を開催するなど支援してきた。1943年9月1日の手紙では、魯山人が箱根で静養中の小林を神奈川県・大船の窯に招いており、友好的な関係がうかがえる。
 だが、魯山人の展覧会を前にして、阪急百貨店発行の月刊誌「美術工芸」に編集者が「小林逸翁も『時節柄、どんなよいものでも高くてはいかん。世話人とよく相談して、少しでも安く売るやうにし給(たま)へ。それなら僕も大賛成だ』といつてゐ(い)られました。今度の展覧会はその趣旨に従つたものです」と書いたことに魯山人は激怒。10月9日の手紙では、「甚(はなは)だ不愉快に存じ候(そうろう)。小生に対し分不相応に高いを非難せらるゝの意乎(か)」と、安く売れというのは自分の作品が不当に高いからか、と書いている。
 さらに10月17日の手紙では、編集者を「馬鹿者」とこきおろすなど、原稿用紙4枚にわたり、びっしりと強い口調で文句を書いている。このため、編集者は「貴下のお気に入ってゐるとあつては摩訶(まか)不思議」と小林を責め、展覧会の中止まで申し出ている。
 伊井館長は「魯山人が自身の美術観を否定されたと、思い込んだのだろう。行き違いや誤解があったのではないか」と話している。
 手紙は、魯山人の窯で小林が作った志野焼とともに逸翁美術館で展示されている。12月5日まで。問い合わせは逸翁美術館072-751-3865。
 (進藤郁美)

北大路魯山人 小林一三 逸翁美術館 雅俗山荘

更新日時 2010/11/01


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