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豊中運動場100年(52) 目指せ極東五輪代表選手/第3回日本オリンピック 

第3回日本オリンピック大会の会場平面図

 1916(大正5)年の豊中運動場は陸上競技で大いに盛り上がった。5月には第3回日本オリンピック大会が開かれ、6月から9月にかけて翌年の極東オリンピック大会の選手強化を目的にした陸上競技練習会が断続的に開催されている。また12月には京阪神の強豪校を集めた初の大会となる京都大阪神戸三対抗陸上競技大会があった。
1913年の開場直後に第1回大会が開かれて以来、日本オリンピック大会はすっかり豊中運動場を代表する大会となった。東京で開催される全国陸上競技会と合わせて、陸上競技の全国大会として定着する。
5月20、21日に開く第3回日本オリンピックは、翌年に開催する極東オリンピック東京大会の日本代表選手予選会も兼ねることになった。日本で開催する初の国際大会であり、どの選手が日本代表に選ばれるかに注目が集まった。
この年1916年の夏にはベルリンで第6回オリンピック大会が予定されていた。しかし、欧州大陸が戦場となった第一次世界大戦は泥沼化。五輪開催は絶望視されていたことから、極東オリンピックへの注目はいやが上にも高まっていた。
過去2回開かれた極東オリンピックでの日本選手の成績は芳しくなかった。フィリピンが圧倒的に強く、2位が中国で日本は3位。陸上競技はフィリピン選手の独壇場で、日本は短距離や中距離で頑張らなければ金メダルは増やせなかった。
 第3回日本オリンピックは翌年の極東オリンピックを最大限に意識した大会になった。競技規約は極東オリンピックに準じた。開催日も翌年の極東オリンピック開幕日の5月20日に合わせた。またスタート時の号令は「位置について」「用意」「ドン(号砲)」から「オンザマーク」「ゲットセット」「ドン」に変更した。
 競技種目も極東オリンピックの種目に準じて決まった。マラソンは現在の42.195キロがまだ定着しておらず、10マイル(16キロ)で競うことになる。前回大会では「クロスカントリー」として行われたが、「走路での競技」という位置づけから初めてマラソン競技として実施することになった。総計787人の一般競技選手が競う祭典は5月20日に開幕した。松本泉)

【極東オリンピック金メダル】
▽第1回マニラ大会(1913年)
 フィリピン 16
 中国     4
 日本     3(1マイル走、5マイル走、野球)
▽第2回上海大会(1915年)
 フィリピン 12 
 中国     6
 日本     5(1マイルリレー、5マイル走、自転車、テニス単・複)

【競技種目】
 ▽100ヤード走▽220ヤード走▽440ヤード走▽880ヤード走
 ▽5000ヤード走▽1マイル走▽マラソン(10マイル走)
 ▽120ヤード障害▽220ヤード障害
 ▽880ヤードリレー▽1マイルリレー
 ▽立ち高跳び▽走り高跳び▽立ち幅跳び▽走り幅跳び▽棒高跳び
 ▽ハンマー投げ▽砲丸投げ▽円盤投げ▽やり投げ▽投球
 ▽五種競技(220ヤード走、1マイル走、走り幅跳び、砲丸投げ、円盤投げ)
 ▽バレーボール▽バスケットボール
 ※1ヤード=0.9メートル▽1マイル=1.6キロ

P説
第3回日本オリンピック大会の会場平面図

第3回日本オリンピック大会 極東オリンピック大会 京都大阪神戸三対抗陸上競技大会 全国陸上競技会

更新日時 2015/10/06


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