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日本の文化を担う池田炭守る 菊炭クラブ

約100年前から使われる下西窯と、菊炭クラブの皆さん。炭は3日焼き続け、7日間を冷却にあてるため、10日ごとにしか作れない

 池田の名を冠した特産物に「池田炭」がある。能勢地域で作られた炭が池田に集められていたことで、その名がついている。焼く窯は昭和30年ごろは約300あったが、徐々に数を減らし、現在は3つが残るだけだ。そのうちの1つ、豊能町の下西窯を使って池田炭を焼くのが、シニア自然大学校・菊炭クラブだ。
池田炭は菊炭とも呼ばれる。それは中央から放射状に割れ目が入る、独特の美しい形状による。安土桃山時代の茶人、千利休が好んで使い、久安寺(池田市伏尾)で開かれた茶会で豊臣秀吉が褒めたたえたことで、全国的な知名度と人気を誇った。今ではインテリアの1つとして用いられることもある。
 日本の熱エネルギーを担っていた炭も、戦後間もなく電気やガスが生活の中に一般化すると、衰退の一途をたどった。 菊炭クラブの高木一宇さんは、池田炭がなくなることは、日本文化の損失と訴える。「炭焼きはもともと、農閑期の副業で、それだけで暮らしを支えるのは難しい。私たちのような団体が、炭の文化を伝える役割を果たしたい」と話す。
菊炭クラブは2005年に、菊炭作り体験講座の参加者を中心に設立され、現在は約50人で活動する。炭焼きだけでなく、子どもたちに里山体験学習なども行う。メンバーの堤正克さんは、「池田炭は最高級の炭。だから一流の茶道家にも満足してもらえる品質を維持していかなければならない。言い換えると、私たちの腕に日本の文化がかかっているんです」と、笑顔の中にもプライドをのぞかせた。
 炭焼きは重労働だ。焼く作業は冬季が中心だが、材料となるクヌギの林を維持するため、下草刈りなど1年中することはある。「炭を作るということは、里山を作るということ。昔ながらの日本の風景を作るという意味でも、文化を守っているのかな」と堤さん。西村英男さんは「やるほどに奥深い。クヌギは伐採後、枝を付けたまま1カ月寝かすといいのかとか、試行錯誤の連続です」と話す。
 池田炭作りの体験は、池田市立カルチャープラザが毎年体験講座を開いている。この冬は2013年1月12日から6回に渡って開き、受講者を募集中だ。クヌギの伐採から始める密度の濃い内容に、のめり込む人も多いという。問い合わせは072-762-7777。(礒野健一)

更新日時 2012/12/12


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