喜八洲・中田社長「社員は宝塚線の高校出身多い」
大阪でみたらし団子といえば大阪市・十三の喜八洲総本舗(きやすそうほんぽ)を思い浮かべる人が多いだろう。焦げ目がついた円筒型の餅に、甘いたれがたっぷりかかった庶民のデザート。喜八洲の創業は1948年。屋号は「八洲(日本中)で喜んでいただこう」という意味で名付けられたという。現在は2代目の中田八朗さんが社長を務めている。
中田さんの生まれは京都だが、小学校に入学する前に池田市に引っ越し、60年以上住み続けている。小、中学校は大阪教育大学附属池田校に通い、大学を卒業する時、先代の勧めもあって京都・西陣にある老舗和菓子屋へ見習いに入った。全国各地から来た従業員たちと共同部屋で寝起きし、外回りや製造の仕事を経験した。坊っちゃん育ちにはつらい仕事だったが「他人に使われる辛さを学べてよかった」と、今でも世話になった店に感謝している。
喜八洲はもともと酒饅頭(まんじゅう)で有名になった店だが、中田さんが経営に関わるころから客の好みに少しずつ変化が出てきた。中田さんは先代と大げんかの末、新たな店舗開拓を進めた。大阪・梅田に大丸百貨店がオープンしたのを機に、喜八洲を百貨店に進出させた。徐々に売り上げが伸び、1番の人気商品も酒饅頭からみたらし団子に代わった。現在、大丸百貨店梅田店での売り上げは、本店に次いで2番目だという。最近は東京の百貨店から催事期間の出店を頼まれることも増えた。人気は関西を超えつつある。
喜八洲には他の会社にはみられない特徴が2点ある。まず、定年制度がないこと。働きたいと願えば、何歳になっても働ける。2011年までは、大正生まれの従業員がいた。次に、従業員は全員が正社員であること。2年に1度は全社員で海外旅行にも行く。「パートやアルバイトよりも離職率が低いし、何より正社員の方が一生懸命働いてくれる。結局は会社にとっても利益になる」と中田さんは考えている。
従業員は、池田をはじめとした阪急宝塚線にある高校出身者が多い。「それなりにきつい仕事やけど、従業員同士の仲がよくて、働きやすい環境のようです。おかげさんで、すぐに辞めてしまう従業員が他社に比べたら少なくて助かってます」と、にこやかに語る。(早川方子)
更新日時 2012/03/19