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前池田市長の倉田薫さん 「政治家養成塾をつくる」

国のあるべき姿や地方の役割などブログで発信している。4月と6月には呉服座の舞台にも立つ=倉田事務所で2012年1月17日

 前池田市長の倉田薫さんに、2011年11月の大阪府知事選挙や池田市長選挙、今後について聞いた。
 府知事選について、「でもしか候補」と口を開いた倉田さんは、「倉田でも勝てる。倉田しかいない」と、府内の首長に推される形で立候補したことを、「良く言えば青臭い正義感。悪く言うと、思い上がり。俺がやらなきゃだれがやるという思いで一気に突入した選挙だった」と振り返った。
 選挙戦終盤は手応えもあった。だから、落選の一報を聞いた時のことを「あっけにとられた」と語った。敗因を「松井(一郎・現知事)対倉田の構図を作れなかった。結果的に(大阪市長選挙に出た)橋下(徹・現市長)さんとの戦いになった」と話し、それが落選直後の「橋下さんの残像に負けた」のコメントになったと続けた。
 敗戦の弁には続きがある。「お好み焼きが食べたい」と言った。倉田さん行きつけのお好み焼き店「大勝」の店主がテレビでこの発言を知り、自分に向けられた言葉だと思い、お好み焼きを焼いて持って来てくれたという。「店主が駆けつけてくれた時はすでに事務所を閉めた後だったんですがね。これがうれしかった」と目じりを下げた。
 続く12月の池田市長選は再出馬を求める声も強く、出馬を模索した。後援会や女性会の会合でも、反応を見たという。女性会では7割が反対だったそうだ。「その気がなかったと言えばうそなる。しかし、先の知事選の最前線で戦ってくれた青年会議所時代の仲間や、家族ら近い人の反対が大きかった」と、不出馬を決めた経緯を説明した。
 現在は、生家でもある池田市菅原町の事務所に毎日、ネクタイを締めて“出勤”する。「池田の地域分権の在り方をまとめたい」と、地方分権制度の実践、実例本を書く準備を進めている。「好きやねん池田・市民の会」や、政治家養成塾の開講を予定するなど、語り合える場も作るという。政治の表舞台への可能性については「ゼロではない。ウイングを広げておくべきだし、気持ちも切れずに持っておきたい」と締めくくった。
(進藤郁美)

――大阪府知事選出馬の経緯について

 誰かが引かなきゃいけないくじがあって、僕が引くことになった。自民民主がのれる最後の選手になっちゃったんですね。
 橋下(徹・現大阪市長)なきあとの大阪府を考えた時、維新、維新では困る。条件に2/3の首長の賛同を付けたのは、無理やでということを表明したのが本当のところ。首長はそれぞれの地で戦う人たちばかり。気持ちは分かるけど堪忍してな、という思いだった。
それが、条件には満たないまでも1/2まできた。最終22、23人までいった。手を挙げた方はかなり勇気があった。踏み絵になるわけですから。そんな首長たちを粋に感じて先頭に立った。
 池田市長としてやり残したことはあったが、知事という立場で池田市制をサポートしたいという思いがあった。

――選挙戦では

 最初は無我夢中。これまで10回の選挙は自分で設計図を書いた。時にはクギとカナヅチを持って行った。今回はまな板の上の鯉だった。思い描いた戦略戦術通りには進まなかった。
 「私が戦っている候補は橋下さんですか?違いますよ。もう橋下さんは府知事ではないんですよ。橋下さんのあとの大阪のトップを選ぶ選挙ですよ」と、訴えたが、結局は橋下さんと戦った。有権者の方は橋下さんを入れにいく。しかし、府知事候補に橋下さんの名前はない。だから松井(一郎・現大阪府知事)さんになる。その流れが出てきたんでしょうね。
 僕は橋下府政に70点を付けました。橋下さんを駄目だとは言えない。橋下さんの陰と戦うむずかしさもあった。

――池田市長選については

 僕が混乱の原因を作ったわけですから、これ以上ごたごたしたらあかんと思い、小南(現池田市長)さんの選挙対策本部長のになった。
 不安やった。中には「安座間肇さんが後継者でしょ」と言われるし、最後まで心配やったですよ。自分の選挙やったら、自分で外へ出ているので反応が分かるが、今回は怖かったですね。これで負けたら、カッコつかんやん。それこそ池田にいてられへん。そんな選挙でした。
 選挙はこれぐらいの怖さがあって当たりまえなんですよ。知事選でそういう怖さを持てなかった、持たなかったのも反省材料ですね。

――今は

 今はまだ忙しいです。事務所も片付けができてない状態。市長室の資料を持ち帰り、段ボールに詰まったまま。レイアウトを変えて談話コーナーにする作業もまだできていない。
 ブログ「とびある記」もようやく発信を始めたところです。「退屈しているやろ」と、遊びに来てくれる方もおられます。
 忙しく活発に動いていたから「物足りなくなくないか?」と言われますが、まだ、そんなことはないです。今はよく寝れる。1カ月が経とうとしているが、まだまだ寝れます。

――今後は
 
 地域分権制度の実践、実例本を書きたい。走りながら考えて、考えながら仕事してきたので、体系だった整理がし切れていない。
 池田の地域分権がどう始まって、どういう実験をして、どういう問題がおこって、将来どういう道へ進むことがいいのか。池田で生まれた地域分権制度をまとめきりたい。
 自分たちの町は自分たちで作る。そういうところに戻していかないといけない。救世主になる方法はこれや、という提言の本にしたい。
 4月に政治家養成塾を開講する。本気でローカル政治家を目指す人のための塾。政治家の資質を上げなければいけない。箕面市会議員選挙に塾生を何人出せるかか課題です。勝てる戦いじゃないといけないしね。
 しばらく無職無収入。年金は来年からですし。来年からは議員年金と共済年金があるんです。共済年金の加入期間が20年だとよかったんですが、僕は19年です。1年足らんので、金額も低いんですよ(笑)。
 市長になったのが阪神大震災の年、辞めたのも震災の年。なんかあるんでしょうかね。

前池田市長 倉田薫 大阪府知事選 池田市長選 地方分権制度

更新日時 2012/02/01


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