いろんな意味で自信がついた ありがとう
昭和二十年八月十五日、終戦の日でもあり私の八才の誕生日でもあります。
そのころは住む所もなく、大人達は仕事もない時代でした。
私の父は明治生れの商売人です。女は学歴は必要ない、名前が書けて少し計算ができればいいという考えの人でした。そのころは、皆で働きやっと食べていくその日暮らし。
私が学校に行きたくても学校にいかせてほしいとは言えなかった。
それだけに学校へ行きたい思いはつのるばかり。どんなふうに勉強をしているのか先生はどんな人なのか、そんなことを思う毎日。私の娘が学校に行き始めた時、自分のことのようにうれしかったです。参観日はかならず参加していました。
六五才になっても学校に行きたい思いはあきらめきれず、ここ四中夜間学級にお世話になりました。初めは見る物さわる物めずらしくケンビキョウをのぞいた時ビックリしました。
初めの一、二年はアッというまに過ぎてしまいました。学んできていろんな意味で自信がつき、人さんの前で名前や住所を書く時手がふるえなくなりました。まだまだ覚えたいこと習いたいこといっぱいあります。
勉強はしたいけど健康がついてこない残念な思いもありますが考えて考えて出した結論です。
楽しかった思い出はたくさん心の中に残っております。
私はここ四中夜間学級が初めての学校です。
どこの学校にも一日も行ったことはありません。初めての学校、最後の学校、先生がいて母校ができたことはとっても嬉しく心から感謝をしております。
先生を始めとして皆様ほんとうにありがとうございました。
(豊中市立第四中学校夜間学級の生徒の作文から)
更新日時 2010/12/02