このエントリーをはてなブックマークに追加

豊中まつり 芳村幸司実行委員長に聞く

熱い思いを語る芳村幸司実行委員長。豊中まつりは8月7日・8日に豊島公園をメーン会場に開催

 創刊号に掲載した豊中まつり(8月7・8日開催)の実行委員長・芳村幸司氏のインタビュー記事。紙面ではスペースの都合で1000文字程度しか掲載出来なかったが、実際は約一時間のインタビューで他にも様々な話を聞くことが出来た。WEB版では芳村氏の熱い思い、魅力をさらに深く伝えてみたい。

――芳村さんが中心となって関わり始めたのは、リニューアルした14回前からですね。

芳村 15年前、それまで30年近く続いてきた豊中まつりというものが、点在型で何をしているかわからないという状態になっていました。そんな状態ならやめた方がいいと思っていたところで、一回見直そうという会議が行われたんです。

――それは阪神大震災の直後の時期でもあります。市民に元気を出してもらうためにも祭りを行った?

芳村 ただ単に花火を上げるだけの祭りではなく、皆の力を結集して「豊中力(とよなかりょく)」を作り上げていくような、そういうものにしていかなアカンと。

――それが「I Love Toyonaka」や「豊人(とよんちゅ)」というキャッチフレーズにつながったのですか。

芳村 「I Love Toyonaka」は3年前、「豊人」は今年からですね。「I Love Toyonaka」という考え方が出てきたのは3、4年前。リニューアル後10年経って、もう一回再点検しようと色々と検証を行ったんです。
 そうしたら、これは素晴らしいことなんですが、豊中まつりは来場者のマナーが良いというのがわかったんです。若いグループ同士のもめ事もなく、酒が入っていても、ボランティアが話をすれば素直に言うことを聞いてくれる。だから警察からも評価をいただいています。どうしてそんなにマナーが良いのかなと皆で考えたら、やっぱり「豊中まつり好きやねん」という話になりました。10年やってきて、ようやく豊中の人たちに浸透してきた。10年前に高校生だった子が、いったん社会人になって戻ってきているという、そんな感じでずっと作り上げられているんですね。だから皆も豊中まつりを潰したくない。そんな気持ちをひしひしと感じる。たからきっちりとしている、話も聞いてくれる。
 例えばゴミの分別なども、言えばきっちりとやってくれます。そういうものになってきたんです。それは「I Love Toyonakaまつり」というものです。その思いを豊中まつり本番の2日間だけに終わらすことなく、プレイベントなど色んなものを通じて感じていく、作っていく。他にも環境や福祉についてやっている団体とネットワークを組みながら、いろいろなところに広げていく、即ち「豊中を愛する人」というものを増やしていけば、豊中まつりも良くなっていく。だから「I Love Toyonaka」や「豊人」というキャッチフレーズでやっていこうとなったんです。

――豊中まつりが豊中の中心になってきた。

芳村 というか、なっていきたいですね。豊中祭りに来ている人が豊中を好きかどうかはわからないけれど、少なくとも豊中まつりは好きなんですよ。プレイベントなどを通じて、いつでもどこでも豊中まつりという形になれば、それが豊中を好きになることにつながります。豊中まつりが単なるイベントではなく、そうした繋がりの一助になればとね。だから出店する事業主さんにも、豊中を前に出すようなメニューを考えてもらったり、2日間だけの付き合いではなく、一年を通した付き合い方を考えてもらいたんですね。

――福祉住環境コーディネーターというお仕事をされている芳村さんから見て、豊中まつり、豊中市というものはどう映っているのか教えてください。

芳村 福祉住環境コーディネーターというのは、専門性の違う専門家に横串をさしてつなげる仕事です。豊中まつりも、他にやっているNPOも全部一緒です。例えば豊中まつり。行政から携わっている人は仕事としてやっているわけです。お金もらってやってるわけです。ボランティアはタダでやっているわけです。事業者は収益を求めてやっているわけです。全然違う価値観を持ち合わせた人たちが、豊中まつりという一つの目的を共有し、場所を担っているのです。
 そんな中で最初の頃は、ボランティアの人が「あんたらお金もらってやってるやんか」と言う。「自分らはボランティアなのに、事業者はお金儲けを考えてる」と言う。事業者は「お金儲けな死んでしまう。ボランティアなんて出来へん」と言う。そんな風に相譲らない価値観だったんです。それを「いやいや、ちゃうで」と一つ大きなものを共有してもらって、事業者は事業者の役割、市民は市民の役割を担ってもらうようにする。ボランティアの人には「あなたは豊中まつりに携わって、それを生業にしていきたいの? 違うよね? でも、何かのメリットがあるからやってるんだよね?」と。つまり目指すところが違う、価値観が違うのだから、別にいいじゃないかと。ボランティアだけでやるなら、それでいいけど祭りはそうじゃないんだよと。色々なポジションがあると。つまり、市民の定義が違うということなんです。そうした形の横繋ぎをしているんです。
 豊中市もそうですね。例えば豊中市とNPO。行政は縦割りですよね。しかし僕らにとっては行政は縦割りでないと困るんですよ。だって何か問題があった時にどこへ行ったらいいかわからなくなるから。だから僕はきちっと縦割りであってほしい。これに変に横串が刺さると、かえって責任のなすりつけのようになる気がするんです。そしてそれを、一歩離れたNPOが横繋ぎしていけばいい。今までは縦割りのカテゴリで解決できていたものが、最近は出来ないものも増えてきた。横串が必要なわけです。
 例えば福祉。最近は福祉の部署だけで解決出来ない問題が増えてきました。他のカテゴリもいっぱい集めてやらないと解決していかない。そういうのを中で繋ぐとしんどいから、じゃあ外から繋ぎましょうという感じでやってるんです。全部一緒ですね。僕の原点はそこなんです。
 豊中まつりというものを通じて、豊中を愛する人たちがいっぱい出てきたら、自分たちの住んでいる豊中がとっても良くなるよねという、そういう考えですね。そのためにはボランティアだけではなかなかしんどいところがあるなと。だからキチッと仕事としてやってくれる行政さんも一緒にやろうよ、資金的に苦しければ事業者さんに面倒見てもらわないといけないから一緒にやろうよ、でも僕らはそうし事業者さんに来てもらってるんだから、事業者さんが儲けることを否定できないよねと。価値観を認め合おうよと。だからプロデュースというと大げさですけど、そういう絵を描いているという感じです。

――実行委員長として全体の運営をされている芳村さんですが、個人的に「コレをしてみたい」というようなものはありますか?

芳村 僕としては、本当は「部会」をしたいです。まず事務局に入っちゃったから、部会をしたことがないんですよ。豊中は高校野球、高校ラグビー、高校サッカーの発祥地。高校野球は豊中まつりでもずっとやってるんですが、僕はラグビーが大好きなんで、やっぱりラグビーに関して何かやりたいと思ってます。せっかく豊中駅前にラグビーのモニュメントもあるのに、誰も気付かないで通り過ぎてるでしょ。豊中は子供のラグビースクールも盛んで、結構名選手、今のトップリーグでやってる選手なんかも輩出してますよ。

――豊中市内の高校はラグビーが強いんですか。

芳村 大阪は私学が強いですからね……。中学は一校しかラグビー部がないんですよ。でも、せっかくこういう財産があるんだから、やっぱり何かやりたいですよね。

――そんな話も踏まえた上で、今年の「豊中まつり」の見所を教えてください。

芳村 あんまり一つを押すというのは出来ないんですが、新たに始まった部会があるんです。それが「I Love Toyonaka部会」。さっきも言ったように、ここ2、3年そうした気運が高まってきて、今回はそれを一つの部会としようとなりました。「I Love Toyonakaゾーン」というものを作って、色んなショップやステージのすべてを豊中一色にします。今までは沖縄の文化など、色んな文化を借りながら皆で楽しんできたんですが、もうそろそろ豊中の色を出していかないと、豊中大好きな人間が出来へんやろと。ステージも豊中に関すること、メニューも何らか豊中にちなんだものを出していきます。
 ポスターも今まではプロに頼んでいたのですが、今年は公募して高校生が描いた物を採用しています。また、「沖縄部会」の中に「豊中ピースフルラブ・ロックフェスティバル・コンテスト」というものがあるのですが、それが近年だいぶ高いレベルになってまして、それやったらアカンと、豊中の高校生枠を作ろうということになりました。より「I Love Toyonaka」の考えに近づける。色んな年代の人が色んな形で参画できる、参画の方法が多様化していくのが今年の売りと言えば売りですね。

――最後に実行委員長として、豊中まつりに来る方々へのメッセージをお願いします。

芳村 豊中まつりは来てもらってもメチャクチャ楽しい、一緒に作ってもメチャクチャ楽しい祭り。今年はまず一度来て楽しんでもらって、来年は作るところから携わってもらえるような、そうした広がりをもって楽しんでもらいたいです。暑い夏ですが、ご家族総出でいらしてくれれば、年代を超えて楽しめること間違いなし! まずは楽しんでほしいですね。

豊中まつり I Love Toyonaka

更新日時 2010/07/27


関連地図情報